「ディープ・スロート」の正体 [英語文化のトリビア]
去年、個人的に驚いたニュースは、ウォーターゲート事件でニクソン大統領を辞任に追い込むきっかけとなった謎の情報提供者「ディープ・スロート」の正体が明かされたことだった。
ニクソン辞任表明が報じられた夏の日のことは、今でもよく覚えている。私は十代前半で国際情勢はよく知らなかったが、ニクソンをめぐっては、ベトナム戦争への批判やウォーターゲート疑惑が次々に伝えられていたからだ。
単なる家宅侵入事件が、実はニクソンが関わるスキャンダルにつながることを暴いたのは、「ワシントン・ポスト」紙の調査報道だった。その過程を描いたノンフィクション「大統領の陰謀」 All the President's Men (「王様の家来がみんな集まってもハンプティ・ダンプティを元には戻せない」という、マザーグースの "All the King's Men" のもじり)は映画にもなった。
そして、素顔がわからないにもかかわらず圧倒的な存在感を持っていたのが、記者にひそかに情報を提供していた政府高官 Deep Throat だった。
彼は果たして誰だったのか。長年、正体探しが続けられたが、情報提供を受けて特ダネを連発した Bob Woodward 記者は、 真相を明かすのは本人の死後だと明言し、30年以上もそれを守り通していた。
ところが去年、正体を知った家族の説得に応じる形で、本人が事実を公表した。かつての謎の情報提供者は、いまや高齢で記憶を失いつつあり、自分が果たした役割もまともに思い出せないほどになっていた。
そして、彼の正体が明かされたことを受けて、ウッドワード記者が書いたのが、この "The Secret Man" である。
ウォーターゲートで名をあげたウッドワードの著書は、これまで先の "All the President's Men" のほか、ブッシュ政権の対テロ戦争を描いた "Bush at War" や "Plan of Attack" などを読んだ。この "The Secret Man" はそうしたベストセラーよりずっと短いが、ある意味でそれ以上に面白かった。それは随所に、著者個人の思いや考えがはっきりと刻まれているからだ。
ブッシュの戦争を描いた作品では、ウッドワードは歴史の記録を第一に考えたかのようで、読んでいて時にやや冗長、また時に政権の mouthpiece のように感じられることもあり、「ニクソンを追い落としたウッドワードも変節したか」というような評があったのもうなずけるように思った。よく考えてみると、ニクソンなりブッシュなりが、実際にどのような行動を取ったのかという事実を探ろうとしている点で、実は変わりはないといえるのだが。
しかし、この "The Secret Man" は、自分自身が関わっているだけに、客観的な記述に徹するというわけにもいかなかったのだろう。2人がどのように出会ったかに触れた後、前半では「大統領の陰謀」当時のことを取り上げ、古典的スパイ物語のようなディープ・スロートとの連絡方法についても再び描かれる。
記憶が薄れていくディープ・スロートとの再会を描く後半では、取材源の秘匿という一般性絵のあるテーマが通奏低音のように流れ、単なる個人的な記述に陥ることを避けようとしているかのようでもあった。
一方、「面白い」とはいっても、この作品を読み終わって、よくできたミステリのような満足感、あるいはカタルシスを得ることはできない。なぜ彼はディープ・スロートになったのか、つまり、この政府高官が内部情報をメディアに漏らすことを決断した理由や動機が、記憶を失いつつある本人の口から具体的に語られることはついにないからだ。「ディープ・スロートの謎」は解けたと同時に、永遠に解けないままである。
これを不満な点にあげることもできるだろうが、しかしつまるところ、小説のように必ずカタルシスを得ることができるわけではないのが現実の世界だということなのだろう。ノンフィクションの面白さは、むしろまさにそこにあるのではないかとも思った。
ニクソン辞任表明が報じられた夏の日のことは、今でもよく覚えている。私は十代前半で国際情勢はよく知らなかったが、ニクソンをめぐっては、ベトナム戦争への批判やウォーターゲート疑惑が次々に伝えられていたからだ。
単なる家宅侵入事件が、実はニクソンが関わるスキャンダルにつながることを暴いたのは、「ワシントン・ポスト」紙の調査報道だった。その過程を描いたノンフィクション「大統領の陰謀」 All the President's Men (「王様の家来がみんな集まってもハンプティ・ダンプティを元には戻せない」という、マザーグースの "All the King's Men" のもじり)は映画にもなった。
そして、素顔がわからないにもかかわらず圧倒的な存在感を持っていたのが、記者にひそかに情報を提供していた政府高官 Deep Throat だった。
彼は果たして誰だったのか。長年、正体探しが続けられたが、情報提供を受けて特ダネを連発した Bob Woodward 記者は、 真相を明かすのは本人の死後だと明言し、30年以上もそれを守り通していた。
ところが去年、正体を知った家族の説得に応じる形で、本人が事実を公表した。かつての謎の情報提供者は、いまや高齢で記憶を失いつつあり、自分が果たした役割もまともに思い出せないほどになっていた。
そして、彼の正体が明かされたことを受けて、ウッドワード記者が書いたのが、この "The Secret Man" である。
ウォーターゲートで名をあげたウッドワードの著書は、これまで先の "All the President's Men" のほか、ブッシュ政権の対テロ戦争を描いた "Bush at War" や "Plan of Attack" などを読んだ。この "The Secret Man" はそうしたベストセラーよりずっと短いが、ある意味でそれ以上に面白かった。それは随所に、著者個人の思いや考えがはっきりと刻まれているからだ。
ブッシュの戦争を描いた作品では、ウッドワードは歴史の記録を第一に考えたかのようで、読んでいて時にやや冗長、また時に政権の mouthpiece のように感じられることもあり、「ニクソンを追い落としたウッドワードも変節したか」というような評があったのもうなずけるように思った。よく考えてみると、ニクソンなりブッシュなりが、実際にどのような行動を取ったのかという事実を探ろうとしている点で、実は変わりはないといえるのだが。
しかし、この "The Secret Man" は、自分自身が関わっているだけに、客観的な記述に徹するというわけにもいかなかったのだろう。2人がどのように出会ったかに触れた後、前半では「大統領の陰謀」当時のことを取り上げ、古典的スパイ物語のようなディープ・スロートとの連絡方法についても再び描かれる。
記憶が薄れていくディープ・スロートとの再会を描く後半では、取材源の秘匿という一般性絵のあるテーマが通奏低音のように流れ、単なる個人的な記述に陥ることを避けようとしているかのようでもあった。
一方、「面白い」とはいっても、この作品を読み終わって、よくできたミステリのような満足感、あるいはカタルシスを得ることはできない。なぜ彼はディープ・スロートになったのか、つまり、この政府高官が内部情報をメディアに漏らすことを決断した理由や動機が、記憶を失いつつある本人の口から具体的に語られることはついにないからだ。「ディープ・スロートの謎」は解けたと同時に、永遠に解けないままである。
これを不満な点にあげることもできるだろうが、しかしつまるところ、小説のように必ずカタルシスを得ることができるわけではないのが現実の世界だということなのだろう。ノンフィクションの面白さは、むしろまさにそこにあるのではないかとも思った。
The Secret Man: The Story of Watergate's Deep Throat
- 作者: Bob Woodward
- 出版社/メーカー: Simon & Schuster (Paper)
- 発売日: 2006/05/23
- メディア: ペーパーバック
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