「緋色の研究」(あるいは「習作」)のこと [シャーロック・ホームズ]
前回、「エチュード」(練習曲)というCDを取り上げたが、フランス語に由来する etude と同じ意味を持つのが study だ。この単語は、美術の「習作」をも意味する。これで連想するのが、シャーロック・ホームズが初めて登場したコナン・ドイルの小説 "A Study in Scarlet" である。
この作品は、日本ではずっと「緋色の研究」として知られてきたが、原題の study は「習作」の意味で使われているという意見がある。「緋色の習作」というタイトルの訳も10年ほど前に出た。
殺人事件の現場を見たあとでホームズが、最初に現場に行ってみようと主張した友人のワトソンに感謝する言葉に、この題が出てくる。
ホームズ自身、"art jargon" と言っているから、「習作」という美術用語と考えるべきだ、というわけだ。
ただ、直前の the finest study は、「緋色の習作」の訳者も「研究対象」と訳しているし、他の所に出てくる "That's the result of all our Study in Scarlet." という言葉は「研究の成果」と訳した方が自然と思われる。こうしたことから、「習作」を作品全体のタイトルとする必要はない、という反論がある。
タイトルが意味するのは「研究」か「習作」か、をめぐっては、ネイティブスピーカーの間でも意見が分かれているということだ。study に両方の意味をかけたという見方もできるだろう。原作者は80年近く前に故人となっていて、確かめようがない。
断定ができないのだったら、言葉から受ける感じ、また慣用という点からも、邦題としては「緋色の研究」の方がいいと個人的には思っているが、今後どうなっていくのだろうか。
ちなみに、「緋色の探究」とした翻訳もかつてあったらしい。こちらの方がより幅広く意味を取れそうなので、邦題として定着していたら、あまり論議になることはなかったかもしれない。
さて、ドイルが著した長短編あわせて60作のホームズ物語は、現代に至るまで盛んに書かれているパロディやパスティーシュと区別するため、"canon" (正典)と呼ばれている。
その原典すべてを1冊に収めた Wordsworth 社版ホームズ全集は、電話帳のように分厚く字も小さいが、初出雑誌(「ストランド」)の連載をさし絵を含めてそのまま復刻したもので、非常に楽しめる。私は海外出張でロンドンを初めて訪れた時に、他の観光名所を差し置いてまずベーカー街221Bにある「ホームズ博物館」を訪れたが、そこでハードカバー版のこの全集を買った。今はペーパーバックの形で出版されているようだ。
ただ "A Study in Scarlet" については、ホームズ物語の「ストランド」誌連載が決まる前に単独に書かれた第1作なので、この Wordsworth 版は初版の復刻ではなく別途活字を組んだものだろう。そして、2部に分かれているこの作品のうち、なぜか冒頭の "Part 1" というタイトル表記が抜けてしまっている(Part 2 の表記はある)。
たいしたミスではないようだが、この Part 1 には、"Being a reprint from the reminiscences of John H. Watson MD, late of the Army Medical Department" (「元陸軍軍医、医学博士ジョン・H・ワトソンの回想録の一部の再録」)というサブタイトルがついていて、Wordsworth 版ではこれも抜けてしまっているので残念である。これぞ、一連の「ホームズ物語」の最初を飾るまとまった文言だからだ。
ここにある late of... は、名詞の後に置かれて、「最近まで~に所属・在住していた」という意味になるという。late というと、すぐに頭に浮かぶのは「遅れて」や「物故した」の方なので、一瞬とまどう。
またかつてのイギリスでは、実際には博士号を取得していないのに MD (Doctor of Medicine) という肩書きが使われることがしばしばあったという。ワトソンもそうだったという「研究」があることから、先の「緋色の習作」の訳者は、これを「医学士」と訳している。
小説中の人物についてこうした研究や論争を大真面目で行うところが、熱心な愛好家の凄いところだ。ちなみにホームズの熱心なファンを指すのに、Holmesian とか Sherlockian という単語もある。
参考記事:
・「緋色の研究」の「タメ語の研究」
・「緋色の研究」の新訳
この作品は、日本ではずっと「緋色の研究」として知られてきたが、原題の study は「習作」の意味で使われているという意見がある。「緋色の習作」というタイトルの訳も10年ほど前に出た。
殺人事件の現場を見たあとでホームズが、最初に現場に行ってみようと主張した友人のワトソンに感謝する言葉に、この題が出てくる。
I must thank you for it all. I might not have gone but for you, and so have missed the finest study I ever came across: a study in scarlet, eh? Why shouldn't we use a little art jargon.
ホームズ自身、"art jargon" と言っているから、「習作」という美術用語と考えるべきだ、というわけだ。
ただ、直前の the finest study は、「緋色の習作」の訳者も「研究対象」と訳しているし、他の所に出てくる "That's the result of all our Study in Scarlet." という言葉は「研究の成果」と訳した方が自然と思われる。こうしたことから、「習作」を作品全体のタイトルとする必要はない、という反論がある。
タイトルが意味するのは「研究」か「習作」か、をめぐっては、ネイティブスピーカーの間でも意見が分かれているということだ。study に両方の意味をかけたという見方もできるだろう。原作者は80年近く前に故人となっていて、確かめようがない。
断定ができないのだったら、言葉から受ける感じ、また慣用という点からも、邦題としては「緋色の研究」の方がいいと個人的には思っているが、今後どうなっていくのだろうか。
ちなみに、「緋色の探究」とした翻訳もかつてあったらしい。こちらの方がより幅広く意味を取れそうなので、邦題として定着していたら、あまり論議になることはなかったかもしれない。
さて、ドイルが著した長短編あわせて60作のホームズ物語は、現代に至るまで盛んに書かれているパロディやパスティーシュと区別するため、"canon" (正典)と呼ばれている。
その原典すべてを1冊に収めた Wordsworth 社版ホームズ全集は、電話帳のように分厚く字も小さいが、初出雑誌(「ストランド」)の連載をさし絵を含めてそのまま復刻したもので、非常に楽しめる。私は海外出張でロンドンを初めて訪れた時に、他の観光名所を差し置いてまずベーカー街221Bにある「ホームズ博物館」を訪れたが、そこでハードカバー版のこの全集を買った。今はペーパーバックの形で出版されているようだ。
ただ "A Study in Scarlet" については、ホームズ物語の「ストランド」誌連載が決まる前に単独に書かれた第1作なので、この Wordsworth 版は初版の復刻ではなく別途活字を組んだものだろう。そして、2部に分かれているこの作品のうち、なぜか冒頭の "Part 1" というタイトル表記が抜けてしまっている(Part 2 の表記はある)。
たいしたミスではないようだが、この Part 1 には、"Being a reprint from the reminiscences of John H. Watson MD, late of the Army Medical Department" (「元陸軍軍医、医学博士ジョン・H・ワトソンの回想録の一部の再録」)というサブタイトルがついていて、Wordsworth 版ではこれも抜けてしまっているので残念である。これぞ、一連の「ホームズ物語」の最初を飾るまとまった文言だからだ。
ここにある late of... は、名詞の後に置かれて、「最近まで~に所属・在住していた」という意味になるという。late というと、すぐに頭に浮かぶのは「遅れて」や「物故した」の方なので、一瞬とまどう。
またかつてのイギリスでは、実際には博士号を取得していないのに MD (Doctor of Medicine) という肩書きが使われることがしばしばあったという。ワトソンもそうだったという「研究」があることから、先の「緋色の習作」の訳者は、これを「医学士」と訳している。
小説中の人物についてこうした研究や論争を大真面目で行うところが、熱心な愛好家の凄いところだ。ちなみにホームズの熱心なファンを指すのに、Holmesian とか Sherlockian という単語もある。
参考記事:
・「緋色の研究」の「タメ語の研究」
・「緋色の研究」の新訳
Sherlock Holmes: The Complete Stories With Illustrations from the Strand Magazine
- 作者: Arthur Conan Sir Doyle
- 出版社/メーカー: Wordsworth Editions Ltd
- 発売日: 2001/09
- メディア: ペーパーバック
タグ:翻訳・誤訳
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study (Eng.) - etude (Fr.) の関係などに見られる印欧語の特徴は興味深いです! 私はかつてその美しさに魅せられ、研究室で学べたらいいなぁと思ったことがありました。(思っただけでしたが…。)
strange (Eng.) - etrange (Fr.)
star (Eng.) - etoile (Fr.)
英語の st- がフランス語の et- に、また、スペイン語では est- (estudio, estrellaなど)のようになっていて面白いですよね。
by mamarimama (2007-06-20 09:39)
mamarimama さん、コメントありがとうございました。
私も、昔フランス語をかじったことがあり、こうした関係を面白いと思いました。地がつながっているからこんな共通性がある、あるいは逆に、地がつながっているのにこんなにも違った言葉になる、ということに気づくと驚きますよね。
by 子守男 (2007-06-20 23:31)
May I ask you about the second cover of The Economist? What issue of which edition (North American, European, British, Asia-Pacific) is it?
by Chuck (2007-06-21 05:37)
Chuck さん、お尋ねなのは、"By George!"と書かれた号(Nov 9th 2002)のことと思いますが、すでに手元にはなく、どの edition だったのかもわかりません(買ったのは国内の洋書取り扱い書店でした)。写真はeconomist.com のサイトの past covers/regional covers で調べて持ってきました。
by 子守男 (2007-06-21 23:33)
Thank you very much for your prompt reply. I have just read one of the leaders in this issue. It is titled "By George!: A great result for the president. Now to build on it." Needless to say, "A great result" refers to the Republicans' "historic victory" in the mid-term elections. OED says "by George" is "a mild oath or a mere exclamation" and used to be "before/fore/for George." I'm going to read related two articles: "On his high horse" and "Mission accomplished" in the same issue.
by Chuck (2007-06-22 06:52)
「緋色の研究」について書いた私の記事をトラックバックしたつもりなのですが…失敗したかもしれません。私は、子守男さんが枠囲みで引用された部分が「エチュード」("a study in C minor"みたいな言い方のもじり?)で、art jargonのあとの糸かせのたとえが、この小説がまだ習作で「もつれた糸かせ」というタイトルだったときの名残で、文中のそのほかのstudyは「研究」という意味ではないのかなーと思いました。でもネイティブスピーカーの人でもわからないのですね。じゃあ好きなように信じればいいってことなのか…。
by ぐうたらぅ (2007-06-25 22:31)
ぐうたらぅさん、ありがとうございました。
トラックバックは、最近スパムっぽいのが来るようになったので、いったん保留した上で公開する設定にしたばかりでした。ご迷惑をおかけしました(トップページにその旨を明示することにします)。
「もつれた糸かせ」の部分は、長くなるかと思って引用しなかったのですが、結構重要な意味を持っているのかもしれませんね。
by 子守男 (2007-06-25 22:52)
1970年代に初めて渡仏した時、書店で、Une étude en rougeを見つけて、何のことかすぐにわかりましたが、その時同時に私の脳裏に浮かんだのは、壁にかかった赤い色調の習作でした。
フランス語は美術関係で学ぶことが多かったからでしょうね。
外国語をかなり学んだ人は皆そうですが、英語、フランス語、日本語はそれぞれ別々のところにあるようなので、日本語英語双方で読んだことはあったのに、邦題のことはかえりみませんでした。
あとで最初に原文で読んだ時にどう思ってたか? を思い出そうとしましたが、思い出せませんでした。
おそらく単にStudyととらえていたのでしょう。
しかし、これ以降は原題からも壁にかかった赤い習作しか浮かばなくなりました。
by Opus 0 (2016-05-31 09:57)
Opus 0さん、なるほどフランス語だと、いかにも美術、という感じがしますね。興味深い視点ありがとうございました。
by tempus fugit (2016-06-01 00:52)
日本語「緋色の研究」では「研究が緋色をしているのか」あるいは「緋色という色を研究している」のかが判然としません。「緋色の研究」を好む日本人は後者の意味で理解しているのだと思いますが、それならば、Study on ScarletあるいはStudy of Scarletではないでしょうか。Study in Scarletであれば、Studyなるものが緋色をしている(緋色をまとっている)と考えたほうが自然です。じゃあ、Studyって何かと考えた時、親和性があるのは、美術用語(a little art jargon)の「習作」です。
19世紀後半のロンドンで活動したアメリカ人画家ジェームズ・マクニール・ホイッスラーには、Symphony in White、Nocturne: Blue and Gold、Arrangement in Grey and Blackと言った題の作品があり、ここにStudy in Scarletが混じっていても違和感がありません。ホームズは時間が空くと画廊に飛び込んで絵を眺めたりする美術愛好家ですから、思わずホイッスラーの絵が浮かび、口をついてStudy in Scarletが出たのでしょう。
by ころんぽ (2020-05-20 15:31)
私は英語の専門家ではないのでよくわかりませんが、後者のような意味についても in が使われることがあるのではないかと思います。また詳細は覚えていませんが、ネイティブスピーカーでもこのタイトルを両義に取れると言っている人がいると何かで読んだ記憶もあります。
私としては、とはいえ絵画でよく使われる表現パターンということで、「習作」の意味合いの方が大きいのだろうとは思っていますが、英語を離れて日本語のタイトルとして考えると、「緋色の研究」が定着しているし、推理小説としても謎めいているので、今さら変える必要はないと思っています。
ほかにもたとえば、小説「寒い国から帰ってきたスパイ」や映画「博士の異常な愛情」もタイトル誤訳説がありますが、これはこれですぐれた邦題だと思っており、変える必要があるとは思いません。
困るのは、オースティンの Pride and Prejudice で、いまだに「自負と偏見」と「高慢と偏見」(さらには、「プライドと偏見」)と、固まっていないようですね。
by tempus_fugit (2020-05-22 09:18)
ありがとうございます。ワトソンはThe Sign of the Fourの冒頭で I even embodied it in a small brochure, with the somewhat fantastic title of ‘A Study in Scarlet.’と言っています。「研究」の意味でStudyを使ったのであれば、ワトソンはfantastic titleとは表現しなかったのではないでしょうか。だから、タイトルとしても「習作」であるべきなのですよ。また、翻訳家諸氏は、Studyに「習作」の意味があることを知ったうえで日本語のタイトルとして「研究」が相応しいと判断、選択したのではありません。「習作」など思いも及ばず、Study=「研究」と単純に解しただけなのです。ここに翻訳家諸氏の欺瞞を感じます。
by ころんぽ (2020-05-22 22:55)
ありがとうございました。The Sign of the Four でワトソンが fantastic と表現したから「習作」なのだ、というのは私の理解力が乏しいため今ひとつわかりませんが、私は邦題として「研究」か「習作」なのか、にはそこまでこだわっておらず、エントリの本文もその程度の認識で書いたことをご了承ください。
ホームズものでいえば、「四人」なのか「四つ」なのか「四」なのか(作者ドイル自身が The Sign of Four としたこともありますね)、「署名」はおかしいのではないか、「まだらの紐」では原題の band が生きないからダメだ、というような”課題”を指摘できますが、初めて翻訳される現代の作品ならともかく、ほとんど慣例となった邦題がある古典作品については、あまり目くじらを立てなくてもいいのでは、というのが私の立場です。もちろん作品のファンとして、あるいは英語の面でこうした話題や論議で盛り上がるのは結構だと思いますが。
「緋色の研究」については、たぶん「習作」であることに気づかなかった延原謙の訳がそのまま定着したものと思いますが、最近の翻訳では、どなたか忘れましたが、「習作」の意味があることを知りつつ、タイトルとしてはあえて「研究」を選んだ、ということを「あとがき」に書いていた翻訳者もいたと記憶しています。
ついでですが私が翻訳で気になることがあるとすれば、欺瞞ならぬ「怠慢」です。若い頃、SFやミステリを翻訳で結構読みましたが、何だか変だな、と感じたところを後年原文で確かめたところ、基礎的な単語の意味の解釈を間違っていた、というケースがいくつかありました。
ちょっと辞書を引けば、文脈にあわないこんな訳になるはずがないのに、と思ったものです。「怠慢」というと厳しすぎるかもしれませんが、そんな例として以前 blessing を取り上げたことがあるので、よろしければご笑覧ください。
https://eigo-kobako.blog.ss-blog.jp/2013-10-04
by tempus_fugit (2020-05-23 09:49)
ご丁寧にありがとうございます。
説明不足でごめんなさい。文章なのに「緋色の習作」なんて絵画と見紛うばかりの題名にしたことをワトソンはfantastic titleと称したのではないかと考えました。文章に対して「研究」なら風変わりではありません。
「習作」を知りつつ、タイトルとしては「研究」を選んだ翻訳者もたしかにいました。が、それは「習作」論争(?)の後に訳した方ですよ。A Case of Identityも「花婿失踪事件」というつまらない訳でお茶を濁していますが、a case of mistaken identity(人違い)という表現のもじりであることが分かったうえでこうしているのでしょうか。
題名も文学作品の一部です。作者に無断で変な題名に変えるのは「改ざん」にほかなりません。その点が一般に軽んじられているのが哀しくてたまりません。たとえば、「あゝ無情」も「レ・ミゼラブル」で逃げちゃいけません。「悲惨なる人々」とかしなくては。あるケーキ屋でケーキに「レ・ミゼラブル」と名付けていて、TVで取材した人が店主に本当の意味を伝えたらびっくりしていました。
別宮貞徳の弟子を自任する私としては「こだわって」いきたいと思います。
by ころんぽ (2020-05-23 18:04)
ころんぼさん、ありがとうございました。英語や翻訳について高度な力と真摯な姿勢をお持ちで、私もそれに釣り合った論議を交わすことができればいいのですが、あいにく当方にはそこまでの力がありません。私の考えも先のコメントに書いた通りで、あくまで一般の読者と英語学習者としてのお気楽なものにすぎませんので、そのへんご寛恕いただければ幸いです。
by tempus_fugit (2020-05-23 18:41)