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英訳版「沈黙」から拾った表現・その3 [単語・表現]

遠藤周作の作品の英訳 "Silence" より、目にとまった表現の続きである。今回は「あれ?」と、ちょっと首を傾げた訳から。

'If from the four corners of the world men like this father were to come once more, we would have to apprehend the Christians again.' said the magistrate with a laugh. 'But we no longer have any fear of that.'

「もし西方の国々からこのパードレのようなお方が、まだまだ来られるなら、我々も信徒たちを捕らえずにはなるまいが……」と奉行は笑った。「しかし、その懸念もない」

four corners は以前取り上げたことがあるが、「四方」すなわち「あらゆる地域」という意味だ。原文は「西方の国々」なのでヨーロッパのことを指すと思われるが、この表現でいいのだろうか。もしかして、「西方」を「四方」と見間違えた?

'I'm not telling you to trample with sincerity and conviction. This is only a formality. Just putting your foot on the thing won't hurt your convictions.'

「心より、踏めとは言うとらぬ。こげんものはただ形だけのことゆえ、足かけ申したとてお前らの信心に傷はつくまい」

踏絵を迫る場面である。with sincerity and conviction が原文ではどうなっているかと思ったら、「心より」であった。「ただ形だけ」は only a formality となっている。

'It is only a formality. What do formalities matter?' The interpreter urges him on excitedly. 'Only go through with the exterior form of trampling.'

「ほんの形だけのことだ。形などどうでもいいことではないか」通辞は興奮し、せいていた。「形だけ踏めばよいことだ」

先ほどの formality のところと似ているが、もっとあとに出てくる場面である。原文では「形だけ」が続けて出てくるが、2つ目は the exterior form (of trampling) と、英語では表現を変えている。同一単語・表現の繰り返しを嫌う英語の特徴があらわれたものであろうか。
「せいていた」を urge としているのも、なるほど、と思った。

'But you can still hear my confession!'
'I wonder.' He lowered his head. 'I'm a fallen priest.'
'In Nagasaki they call you the Apostate Paul. Everyone knows you by that name.'

「だがお前さまにはまだ告悔をきく力がおありじゃ」
「どうかな」彼はうつむいて、「私は転んだパードレだから」
「長崎ではな、お前さまを転びのポウロと申しております。この名を知らぬ者はなか」

fallen と apostate が原文ではどうなっているか興味を持ったのだが、想像した通り「転んだ」であった。動詞の apostatize もこの英訳版「沈黙」に何回か出てくる。名詞は apostasy である。

何となく響きが似ているが意味的には異なる単語に apostolate がある。 apostle と関係があり、「使徒の地位」「司祭職」 the position or authority of an apostle or a religious leader 「教義の唱導を目的とする人々の集まり」 a group of apostles or religious leaders、そして「宣教活動」 a form of evangelical activity or work などと辞書にある。

この単語、ある英英辞典には (chiefly in Roman Catholic contexts) という注が書かれていたが、私の手持ちの英和辞典にはこうした情報はなかった。「沈黙」の英訳から。

In 1635 four priests gathered around Father Rubino in Rome. Their plan was to make their way into a Japan in the throes of persecution in order to carry on an underground missionary apostolate and to atone for the apostasy of Ferreira which had so wounded the honor of the Church.

一六三五年に、ローマでルビノ神父を中心として四人の司祭たちが集まった。この人たちはフェレイラの棄教という教会の不名誉を雪辱するために、どんなことがあっても迫害下の日本にたどりつき、潜伏布教を行う計画をたてた司祭たちである。

ここでは、「迫害下の日本」に、しっかりと a がついているのも勉強になる。「固有名詞につく冠詞」については文法書に説明があるが、理屈ではわかったつもりになっても、なかなか使いこなせない事柄ではないかと思う。こうした実例に触れるたびに感心してしまう。

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