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「幼年期の終わり」の新訳 [読書と英語]


幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

  • 作者: クラーク
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2007/11/08
  • メディア: 文庫


「カラマーゾフの兄弟」が何かと話題の光文社古典新訳文庫から、名作の誉れ高い「幼年期の終わり」 Childhood's End が出ているのを書店で見つけた。私は高校生の時に初めて読み、社会人になってから原書でも読んだ作品だ。SFというジャンル、しかも1953年発表という新しい作品をこの文庫が取り上げたことにまず驚き、さらに中身を見て、実は原作者のクラークは一部を改作しており、その初訳と知って二度驚いた。

クラークはかの「2001年宇宙の旅」の原案をスタンリー・キューブリックとともに作り上げたSFの大家である。「2001年」は映像体験としては凄いが、謎めいた要素が多くかなり難解だ。その点、ストーリーとしてはこの「幼年期の終わり」の方がわかりやすく、しかも負けず劣らず深い印象を残す。以下、多少ネタばれがある。

ある日、地球に巨大な宇宙船の群れが突如やってくる。宇宙人は友好的で、その超文明の恩恵を受けて人類に平和と繁栄がもたらされる。しかしそれをいぶかしく思い疑問を持った人たちが、宇宙人の本当の目的は何なのか知ろうと動き始める。そして人類の将来を意外かつ圧倒的なイメージで描く終結へつながっていく。いかにもSFといった荒唐無稽で空想的な要素から、宇宙人の正体と真の狙いという謎解き、そして人類の行く末まで、幅広い内容を含んでいて読み応えがある。

「新版」とはいうものの、ちょっとページを繰っただけで、クラークが書き直したのは人類が宇宙人と遭遇する冒頭の一章のみとわかった。1953年の版では、アメリカとソビエトが繰り広げていた宇宙開発が宇宙人の来訪によって無意味となり、それが冷戦の終結と世界平和の実現へつながっていく形になっていた。それが1989年に書かれた新しい版では、時はすでに冷戦が終わった21世紀で、かつての東西陣営が協力して火星を目指そうとしている矢先に宇宙人が来訪した、という内容に変わっている。

読んでみて、正直いって最初の版の方がすぐれていると思った。「人類はもはや孤独でない」ことを知ったとたん、東西対立も宇宙開発競争も一瞬にして無になってしまった、とする方が衝撃はずっと大きい。また文章や描写も最初の方がより印象的だと感じた。

クラークは新訳の「まえがき」で冒頭の改作について触れているが、その内容や日付(「ベルリンの壁」崩壊より前)を見ると、実際の冷戦終結を受けてではなく、それ以前に改作を行っている。先見の明があったのかとも思うが、その一方で、現実の世界ではすでに古臭くなってしまったテクノロジーが出てくる後続の章には手を入れていない。冷戦の終結云々より、むしろそちらの方が気になってしまうほどだ。どうせなら全面的に改稿してもよさそうなもので、どうもクラークの意図がよくわからない。

わからないことはまだある。新訳を買ったその足で洋書を扱っている店に行ってみた。新版の冒頭原文があれば読みたいと思ったからだ。幸い、ある店に2001年に出たペーパーバックがあった。そして最初のページを繰って驚いた。そこにあるのは1953年の旧版そのままの英文だったからだ。さらによく見ると、本の最後に Appendix として、次のような断り書きとともに書き直された冒頭が収められていた。

In 1989, the author updated the first chapter of Childhood's End (中略) After the breakup of the Soviet Union, he decided to revert back to the original text. Following is the revised 1989 version.

つまり実際に冷戦が終結したのを受けてクラークは、冒頭を元の版に戻し、1989年の改作を「おまけ」扱いにしてしまったわけである。この「旧版回帰」が具体的にいつ、なぜ行われたのかは書かれていないが、何のための改作だったのだろうか。

さらに新訳であるが、帰宅して読んだら、冒頭の原典回帰について「解説」で指摘していることがわかった。しかし「解説」のその部分を除けば、この作品が改作されたままであるかのような形で出版されており、ちょっと不正確ではないだろうか。まあ、出版社としては話題性や特徴を打ち出したいのではあろうが。それでも、1953年版の冒頭部分もあわせて訳してくれていたら、と思った(翻訳権の問題があるのかもしれないが)。

光文社のこの文庫では、以前、児童文学である「飛ぶ教室」の新訳を取り上げたことがあった。その時は、翻訳の文体の違いについて、私にとっては子供の時に読んだ旧訳の刷り込みがいまだに強いというようなことを書いたが、今回は大人向きの小説ということもあってか、既存の訳書との違いで違和感を抱くことはなかった(前述のように、翻訳とは別のところで気になる点があったが)。唯一細かいところで、Karellen という主要登場人物の表記が、2つある従来の訳ではそれぞれ「カレルレン」「カレレン」だったのが、新訳では「カレラン」となっていて、三者三様なのがすぐに気づく相違点といえるだろうか。

ついでにさらに細かいことだが、腰巻き(本の帯)は「SFを超えた哲学小説」と謳っているが、この作品のファンである私などは、いくら古典的名作とはいえ、これではむしろ新しい読者が敬遠してしまい、逆効果ではないだろうかと思ってしまう。実際には大変読みやすい作品なのに。


Childhood's End

Childhood's End

  • 作者: Arthur C. Clarke
  • 出版社/メーカー: Tor
  • 発売日: 2010/05/07
  • メディア: ペーパーバック



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