ケネディ議員の脳腫瘍報道を読んで [アメリカ政治]
生きている人の死を語ることは、日本では不謹慎あるいは非常識と受け取られると思うが、先日、アメリカのケネディ上院議員に悪性の腫瘍が見つかったことを報じる英文記事を読んでいたら、こうしたことがかなりはっきりと書かれていたので、ちょっと驚いた。
その記事はAP通信社のものだが、冒頭から、いきなり治癒の、というより余命の見通しについて触れている。
続く部分で、複数の医師を引用してさらに見通しを伝えている。専門家による客観的な見方を提示した、ということかもしれないが、ここまで書いているのを読むと、私などは冷徹非情なものを感じてしまう。
さらに、「ケネディ後」についても言及している。
後継問題について別のAP電 "Thinking the unthinkable: Who follows Ted Kennedy?" は次のような書き方をしていた。
departure はケネディが職務を遂行できなくなり、議員を辞めた場合ととらえればいいのだろうが、一方で彼の死と受け止めることもできそうで、どきりとさせられる。ちなみに英和辞典は、この単語に<古>という注がつけたうえで「死去」という意味を載せている。
もうひとつ、診断を受けたケネディ議員が退院したことを伝える「ガーディアン」紙の記事には、こんなくだりがあった。
the past tense とは、単純に「過去の人物扱い」ということか、「余命幾ばくもない」と受け取ると考えすぎになるだろうか。
また同じ記事には、
と書いた部分もあった。
このように、「死」に触れた、あるいは触れていると受け取られかねない言い方は、日本では(少なくとも公の場では)言ったり書いたりするのが憚られることではないかと思う。ケネディ議員についての国内の報道では、あくまでネットで見た範囲だが、多少とも言及していたのは共同通信だけで、しかも具体的な数値は書いていなかった。
以上、ケネディ議員の病状を伝える英文記事を読んで、とりとめもないことを書いてみた。こうした例をひいて、日・米・英の生死観が比較できる、と言いたいわけではないが、表現の仕方の違いが、ちょっと興味深く感じられたのも確かだった。
その記事はAP通信社のものだが、冒頭から、いきなり治癒の、というより余命の見通しについて触れている。
Sen. Edward M. Kennedy was diagnosed with a cancerous brain tumor Tuesday in what could be the grim final chapter in a life marked by exhilarating triumph and shattering tragedy. Some experts gave the liberal lion less than a year to live. ( http://news.yahoo.com/s/ap/20080520/ap_on_go_co/kennedy )
続く部分で、複数の医師を引用してさらに見通しを伝えている。専門家による客観的な見方を提示した、ということかもしれないが、ここまで書いているのを読むと、私などは冷徹非情なものを感じてしまう。
- Outside experts gave him no more than three years -- and perhaps far less.
- "As a general rule, at 76, without the ability to do a surgical resection, as kind of a ballpark figure you're probably looking at a survival of less than a year." (ballpark figure : 概数)
さらに、「ケネディ後」についても言及している。
Were he to resign or die in office, state law requires a special election for the seat 145 to 160 days afterward.
後継問題について別のAP電 "Thinking the unthinkable: Who follows Ted Kennedy?" は次のような書き方をしていた。
The prospect of Kennedy's eventual departure also has touched off a scramble involving Massachusetts congressmen and others.
( http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/22/AR2008052200323.html )
departure はケネディが職務を遂行できなくなり、議員を辞めた場合ととらえればいいのだろうが、一方で彼の死と受け止めることもできそうで、どきりとさせられる。ちなみに英和辞典は、この単語に<古>という注がつけたうえで「死去」という意味を載せている。
もうひとつ、診断を受けたケネディ議員が退院したことを伝える「ガーディアン」紙の記事には、こんなくだりがあった。
Some commentators referred to Kennedy in the past tense, and the New York Post ran a headline saying: "Ted is dying."
( http://www.guardian.co.uk/world/2008/may/21/usa1 )
the past tense とは、単純に「過去の人物扱い」ということか、「余命幾ばくもない」と受け取ると考えすぎになるだろうか。
また同じ記事には、
Kennedy's appearance and good spirits came after a day in which the political world struggled to come to terms with the possible consequences of his grim diagnosis.
と書いた部分もあった。
このように、「死」に触れた、あるいは触れていると受け取られかねない言い方は、日本では(少なくとも公の場では)言ったり書いたりするのが憚られることではないかと思う。ケネディ議員についての国内の報道では、あくまでネットで見た範囲だが、多少とも言及していたのは共同通信だけで、しかも具体的な数値は書いていなかった。
主治医の発表によると、発見されたのは死亡率が高いとされる悪性神経膠腫(こうしゅ)。ケネディ氏は病院内を歩くなど、現在は元気にしているという。今後の治療は放射線治療や化学療法が中心になる見込み。
以上、ケネディ議員の病状を伝える英文記事を読んで、とりとめもないことを書いてみた。こうした例をひいて、日・米・英の生死観が比較できる、と言いたいわけではないが、表現の仕方の違いが、ちょっと興味深く感じられたのも確かだった。
にほんブログ村← 参加中です
コメント 0