ボズ・スキャッグスとアンジェラ・アキの We're All Alone [音楽と英語]
前回は one for the road という表現にからんでボズ・スキャッグス Boz Scaggs の「シルク・ディグリーズ」 Silk Degrees に触れた。もう30年も前にリリースされたアルバムだが、すばらしいジャケットとあわせて、まさに永遠の名盤というのにふさわしい。
収録曲はどれも名曲だが、特に "We're All Alone" は誰でも一度は耳にしたことがあるのではないかと思う。
この We're All Alone は、「恋人とふたりきり」と歌う美しいラブソングだが、かつて「みんなひとりぼっち」と哲学的?に訳され、誤訳ではないかと取り沙汰されたことをいまだに覚えている。その点で、英語学習の面でも印象深い作品だ。
先日レンタルしたアンジェラ・アキのアルバムで、この曲がカバーされていた。英語ではなく、アンジェラ・アキ自身がつくった日本語の歌詞がつけられていたが、その詞は「人間は皆一人だから」となっていて、あれっと思った。
アンジェラ・アキは母親がアメリカ人で、アメリカに暮らしていたこともある。その彼女が「ふたりだけ」ではなく、誤訳ともされた「みんなひとりぼっち」に沿った歌詞をつけたのは、何か意味があるのだろうか。
その時は、ちょっとそんなことを考えただけでそのままにしていたが、今回ボズ・スキャッグスについて触れたので、ふと日本語版「ウィキペディア」を検索したら、ちゃんと「ウィ・アー・オール・アローン」の項があるのを見つけた。すると、
としっかりと記述されていた。「ウィキペディア」は項目によっては時に怪しい記述があるが、今回は参考になった。
さらに、関連するアンジェラ・アキのインタビュー記事にリンクされていたので読んだら、彼女自身が、なぜこのような歌詞にしたかを説明していた。
http://megalodon.jp/2009-0302-1803-38/magazine.music.yahoo.co.jp/pow/20090224_001/interview_002
彼女は、元の詞が「恋人とふたりきり」であることを知りつつ、彼女は「人間はみなひとりだ」というもう一つの意味に執着しているのだそうで、カバー曲でありながらオリジナルの要素もある、といった内容のことを述べている。
原曲の英語だけしか知らなければ、こうした考えはかえって出てこないのではないか、と面白く思った次第である。
過去の参考記事:
・「帰ってくれたらうれしい」か? (You'd Be So Nice to Come Home to)
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収録曲はどれも名曲だが、特に "We're All Alone" は誰でも一度は耳にしたことがあるのではないかと思う。
この We're All Alone は、「恋人とふたりきり」と歌う美しいラブソングだが、かつて「みんなひとりぼっち」と哲学的?に訳され、誤訳ではないかと取り沙汰されたことをいまだに覚えている。その点で、英語学習の面でも印象深い作品だ。
先日レンタルしたアンジェラ・アキのアルバムで、この曲がカバーされていた。英語ではなく、アンジェラ・アキ自身がつくった日本語の歌詞がつけられていたが、その詞は「人間は皆一人だから」となっていて、あれっと思った。
アンジェラ・アキは母親がアメリカ人で、アメリカに暮らしていたこともある。その彼女が「ふたりだけ」ではなく、誤訳ともされた「みんなひとりぼっち」に沿った歌詞をつけたのは、何か意味があるのだろうか。
その時は、ちょっとそんなことを考えただけでそのままにしていたが、今回ボズ・スキャッグスについて触れたので、ふと日本語版「ウィキペディア」を検索したら、ちゃんと「ウィ・アー・オール・アローン」の項があるのを見つけた。すると、
日本においては、シンガーソングライターのアンジェラ・アキがカバーし、インディーズアルバム『ONE』およびメジャーアルバム『ANSWER』に収録している。このカバーバージョンには日本語の歌詞が付けられているが、この日本語詞は原曲のWe're All Aloneの意味とは異なる、「みんな一人ぼっち」を意味する内容となっている。
としっかりと記述されていた。「ウィキペディア」は項目によっては時に怪しい記述があるが、今回は参考になった。
さらに、関連するアンジェラ・アキのインタビュー記事にリンクされていたので読んだら、彼女自身が、なぜこのような歌詞にしたかを説明していた。
http://megalodon.jp/2009-0302-1803-38/magazine.music.yahoo.co.jp/pow/20090224_001/interview_002
彼女は、元の詞が「恋人とふたりきり」であることを知りつつ、彼女は「人間はみなひとりだ」というもう一つの意味に執着しているのだそうで、カバー曲でありながらオリジナルの要素もある、といった内容のことを述べている。
原曲の英語だけしか知らなければ、こうした考えはかえって出てこないのではないか、と面白く思った次第である。
過去の参考記事:
・「帰ってくれたらうれしい」か? (You'd Be So Nice to Come Home to)
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はじめまして。
60歳越えの老人ですが、いつも楽しみに読ませていただいて
おります。
"We Are All Alone"について同じようなことを感じていました。
いまはほとんど忘れられているようですが、フージョンピアノの
ボブ・ジェイムスがこの曲をはでなアレンジでカバーし、ヒットした
ことがあります。そのとき邦題が「ふたりだけ」となっていておやっ
と思ったのです。「わたしたちはみんなひとりぼっち」と言う意味と
それまで思っていたので、それでは間違いなのだろうかと周囲に
も尋ねたりしましたが、はっきりしないままになっていました。
アンジェラ・アキさんのカバーは知りませんでしたが、こういう発想
が出てくるということはネイティブでも少しは第二の意味を思い
浮かべることがあるのかもしれないとわかってなんだかうれしく
なりました。
また面白い記事を期待しております。
by 砂粒 (2010-09-15 21:07)
砂粒さん、コメントありがとうございました。ボブ・ジェイムズもこの曲をカバーしていたのですね。「はでなアレンジ」とのこと、聞いてみたいような怖いような。
アンジェラ・アキが自分なりの詞をつけたのは面白いですが、そうした第2の意味を考えたくなるような名メロディーだといえるのかもしれません。
更新はスローペースですが、今後ともよろしくお願いします。
by 子守男 (2010-09-15 23:31)
突然、お邪魔します。Bobの曲はこちらです。アップテンポになってます。
http://www.youtube.com/watch?v=iWDtukwhL_Q
私も似た勘違いをしていた1人ですが、いまだにこのフレーズでは2人だけという像がなかなか浮かびません。
同類の勘違いで Grover Washington Jr. の Just the two of usがあります。大勢の中の2人かと最初思いました。もちろん、状況的には文脈でそういうときがあるように思いますが、自信はないです。たぶん、明確にはamongか何かにするか別の表現を使うかというところかと思います。
by dau (2010-10-01 20:22)
dau さん、このところ多忙で、コメントとリンクをいただいているのに気づくのが遅れてしまいました。どうもすみませんでした。
この編曲、私としては部分的にはいいと思うところもありますが、全体的には「うーん」という感じでしょうか。
by 子守男 (2010-10-12 01:33)
「ふたりきり」なのか「ひとりぼっち」なのかを調べていて、このBlogを拝見させていただきました。
ウィキペディアの説明は、このBlogを書かれたときとは異なっているようです。
その説明によれば、最初の邦題は「二人だけ」だったのが、その後「みんな一人ぼっち」という邦題に変わったとなっていて、このBlogで書かれている、最初は「ひとりぼっち」でそれが誤訳でないかということで「二人だけ」になった、という経緯と異なっております。
また、「二人だけ」から「ひとりぼっち」に変わった理由として、ウィキペディアでは次のように解説しています。
We are all alone.のallの意味・機能をとりちがえた結果である。このallは「まったく(completely)」の意味を持つ副詞で、aloneを強調しているのだが、それを、We are all equal.「われらはみんな平等だ」のallのように、主語Weと同格の代名詞ととらえてしまったわけである。
どっちが正しいのかよく分かりません。
もっとも、詩なので、どちらの解釈でもよくって、聴く人それぞれのイメージを持ってもいいのかもしれませんけど。
by みどりねこ (2013-01-17 21:21)
みどりねこ さま、コメントありがとうございます。
>このBlogで書かれている、最初は「ひとりぼっち」でそれが誤訳でないかということで「二人だけ」になった、という経緯と異なっております。
まず、最初は「ひとりぼっち」だったのが誤訳ではないかと「二人だけ」となった、とは私は書いていないつもりです。「ひとりぼっち」と訳されたことがあり、誤訳ではないかと指摘されたという記憶は確かにあるので、そのように書きました。
現在の「ウィキペディア」には、リタ・クーリッジによるカバーの邦題が「みんな一人ぼっち」だった、と書かれていますね。私の記憶もそれではないかと思います。
最初の邦題がどうだったかはわからないのですが、ふと、私が持っている紙ジャケット版の「シルク・ディグリーズ」を引っ張りだしてみたら、この作品がLPで出た時の日本語の帯がそのまま復刻されてついていて(忘れていました)、そこには「二人だけ」とありました。疑問氷解です。
このタイトル、歌詞の流れからは「ふたりきり」という意味に取れると考えていますが、受け手によって違った解釈ができるのがおもしろい、ということを本文で書いたつもりです。ですので、
>どちらの解釈でもよくって、聴く人それぞれのイメージを持ってもいいのかもしれませんけど。
というご意見にも賛成です。
ちなみに、英語についてネイティブでない人が新たな視点を持ちうるということについて、以前、「村上春樹の『総称のyou』論」という記事を書いたことがありますので、よろしければお読みになっていただければうれしいです。
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2007-06-12
by tempus fugit (2013-01-20 16:20)