芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の河」の英訳を比べる [日本の文化]
このところ galaxy から連想したことを書いているが、「天の川」といえば、日本人としては芭蕉の名句を思い起こさずにはいられない。「奥の細道」の英訳は以前も取り上げたことがあるが、今回も比較してみよう。
この句に初めて触れたのは小学生の時だった。古典とは無縁の子どもでも、一読して情景が眼前に浮かんだほどだ。
まずは最も手に入りやすい翻訳として、以前も紹介したドナルド・キーン Donald Keene の「英文収録 おくのほそ道」より。
- Turbulent the sea--
Across to Sado stretches
The Milky Way.
このあと紹介する訳は、「荒海」に rolling とか rough を使っているが、個人的にはこの turbulent が好きだ。飛行機のアナウンスで聞く air turbulence と、実際に経験した乱気流の揺れに影響されたものかもしれないが。
私が持っているもうひとつの「奥の細道」の英訳 Narrow Road to the Interior (Hiroaki Sato 訳)を見ると、
- Rough sea: lying toward Sado Island the River of Heaven
「天の川」を the River of Heaven としているのが、直訳風ではあるが何だか詩的で、ドナルド・キーンさんには悪いが個人的には「ミルキーウェイ」よりも好みだ。ただ、英語圏の人には、天の川といえばやっぱりこっちなのかなあ、と思う(キーン先生は帰化して今は日本人ではあるが)。
さらに、これも以前も紹介した「英語で味わう日本の文学」という本を見ると、
- Rolling, the sea--
Toward Sado Island,
Stretching out, the Milky Way.
キーン訳と同じ stretch を使っているが、それが3行目に来ているのが個人的にはちょっと気になる。先の2つの訳も、音節が日本の俳句のような「五・七・五」に揃っているわけではないが、この訳は特に逸脱が大きく、3行目(最後の「五」に当たる部分)が長い。何となく調子が悪いと感じるのは、これが関係あるのだろうか。
訳のあとにつけた解説で、著者は、「荒海」を単純に the rolling sea とするのではなく、rolling, the sea-- とすることで、単なる「荒れている海」という意味から、「荒れているなあ、この海は!」という感じの表現にすることができ、ダイナミックな感慨の念を表現できる、としている。なるほど。キーン訳も、カンマはないがこうした手法といえそうだ。
ところで、この句の季語の「天の河」は初秋(季節の実感としては夏)、しかし「荒海」は明らかに冬を連想させる。私は太平洋側の育ちだが、何度か訪れた親の郷里が日本海沿いの海辺にあるので、と威張るまでもなく、穏やかな夏の海と冬の荒海の対比は日本人ならば誰でも想像できることだろう。
この句は実際に見たものではなく、芭蕉の空想の世界を詠んだものであることはほとんど定説のようだが、その通りに、冬の「荒海」の上に「天の河」の夏(秋)の夜空が広がっているという、現実にはありえない情景を想像してもいいし、言葉通りに、凍てつくような冬の夜空に(本来は夏~秋のものである)銀河が実際に横たわっている様子を思い描いてもいいように思う。
そんな不思議さ、矛盾が矛盾でなくひとつの世界にまとまっていることが、この句を印象的なものにしている理由ではないか、と、文学や古典には疎い私なりに考えたくなる。
もっとも、この句の前文として「奥の細道」とは別に書かれた「銀河の序」からもわかるように、芭蕉は天の川というより、佐渡にまつわる過去の歴史を幻視して詠んだようだ。文学や歴史の知識に乏しい私はそうした深い読み方は出来ないが、単純に光景を思い浮かべるだけでも十分「名句中の名句」と感じる作品だ。
脱線が過ぎたが、ネットで見つけたこの他の英訳をいくつか列挙しよう。
- stormy sea:
stretching over Sado,
Heaven’s River
- the rough sea--
flowing toward Sado Isle
the River of Heaven
- The rough sea--
Extending toward Sado Isle,
The Milky Way.
- a wild sea--
stretching to Sado Isle
the Milky Way
- High over wild seas
surround Sado Island--
the River of Heaven
- Across rough seas,
it arches toward Sado Isle--
The River of Heaven
- A wild sea,
And stretching out towards the Island of Sado,
The Milky Way.
最後の訳は Blyth によるものとあった。戦後、海外への日本文化の紹介に尽くしたブライスという外国人がいた、と学生時代に何かで学んだことを思い出し、ネットで調べたらその通りであった。Reginald Horace Blyth はイギリス人文学者で俳句や禅についての本を著しており、1964年10月、オリンピックが閉幕した直後の東京で没している。
参考記事:
・英訳「奥の細道」
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2008-07-12
・英訳「奥の細道」を読む~月日は百代の過客
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2008-07-31
・「夏草や兵どもが夢のあと」 (雑草と weed と grass の違い)
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2013-09-11
・英訳「方丈記」~ゆく河の流れは絶えずして
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2013-09-03
この句に初めて触れたのは小学生の時だった。古典とは無縁の子どもでも、一読して情景が眼前に浮かんだほどだ。
まずは最も手に入りやすい翻訳として、以前も紹介したドナルド・キーン Donald Keene の「英文収録 おくのほそ道」より。
- Turbulent the sea--
Across to Sado stretches
The Milky Way.
このあと紹介する訳は、「荒海」に rolling とか rough を使っているが、個人的にはこの turbulent が好きだ。飛行機のアナウンスで聞く air turbulence と、実際に経験した乱気流の揺れに影響されたものかもしれないが。
私が持っているもうひとつの「奥の細道」の英訳 Narrow Road to the Interior (Hiroaki Sato 訳)を見ると、
- Rough sea: lying toward Sado Island the River of Heaven
「天の川」を the River of Heaven としているのが、直訳風ではあるが何だか詩的で、ドナルド・キーンさんには悪いが個人的には「ミルキーウェイ」よりも好みだ。ただ、英語圏の人には、天の川といえばやっぱりこっちなのかなあ、と思う(キーン先生は帰化して今は日本人ではあるが)。
さらに、これも以前も紹介した「英語で味わう日本の文学」という本を見ると、
- Rolling, the sea--
Toward Sado Island,
Stretching out, the Milky Way.
キーン訳と同じ stretch を使っているが、それが3行目に来ているのが個人的にはちょっと気になる。先の2つの訳も、音節が日本の俳句のような「五・七・五」に揃っているわけではないが、この訳は特に逸脱が大きく、3行目(最後の「五」に当たる部分)が長い。何となく調子が悪いと感じるのは、これが関係あるのだろうか。
訳のあとにつけた解説で、著者は、「荒海」を単純に the rolling sea とするのではなく、rolling, the sea-- とすることで、単なる「荒れている海」という意味から、「荒れているなあ、この海は!」という感じの表現にすることができ、ダイナミックな感慨の念を表現できる、としている。なるほど。キーン訳も、カンマはないがこうした手法といえそうだ。
ところで、この句の季語の「天の河」は初秋(季節の実感としては夏)、しかし「荒海」は明らかに冬を連想させる。私は太平洋側の育ちだが、何度か訪れた親の郷里が日本海沿いの海辺にあるので、と威張るまでもなく、穏やかな夏の海と冬の荒海の対比は日本人ならば誰でも想像できることだろう。
この句は実際に見たものではなく、芭蕉の空想の世界を詠んだものであることはほとんど定説のようだが、その通りに、冬の「荒海」の上に「天の河」の夏(秋)の夜空が広がっているという、現実にはありえない情景を想像してもいいし、言葉通りに、凍てつくような冬の夜空に(本来は夏~秋のものである)銀河が実際に横たわっている様子を思い描いてもいいように思う。
そんな不思議さ、矛盾が矛盾でなくひとつの世界にまとまっていることが、この句を印象的なものにしている理由ではないか、と、文学や古典には疎い私なりに考えたくなる。
もっとも、この句の前文として「奥の細道」とは別に書かれた「銀河の序」からもわかるように、芭蕉は天の川というより、佐渡にまつわる過去の歴史を幻視して詠んだようだ。文学や歴史の知識に乏しい私はそうした深い読み方は出来ないが、単純に光景を思い浮かべるだけでも十分「名句中の名句」と感じる作品だ。
脱線が過ぎたが、ネットで見つけたこの他の英訳をいくつか列挙しよう。
- stormy sea:
stretching over Sado,
Heaven’s River
- the rough sea--
flowing toward Sado Isle
the River of Heaven
- The rough sea--
Extending toward Sado Isle,
The Milky Way.
- a wild sea--
stretching to Sado Isle
the Milky Way
- High over wild seas
surround Sado Island--
the River of Heaven
- Across rough seas,
it arches toward Sado Isle--
The River of Heaven
- A wild sea,
And stretching out towards the Island of Sado,
The Milky Way.
最後の訳は Blyth によるものとあった。戦後、海外への日本文化の紹介に尽くしたブライスという外国人がいた、と学生時代に何かで学んだことを思い出し、ネットで調べたらその通りであった。Reginald Horace Blyth はイギリス人文学者で俳句や禅についての本を著しており、1964年10月、オリンピックが閉幕した直後の東京で没している。
参考記事:
・英訳「奥の細道」
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2008-07-12
・英訳「奥の細道」を読む~月日は百代の過客
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2008-07-31
・「夏草や兵どもが夢のあと」 (雑草と weed と grass の違い)
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2013-09-11
・英訳「方丈記」~ゆく河の流れは絶えずして
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2013-09-03
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