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to be had 「手に入る」 + 佐々木高政氏の英語参考書の思い出 [辞書・学習参考書]

(can) be had はイディオムとはいえないだろうが、「モノが入手可能である」ことを示す。初めて出会ったのは遥か昔の高校時代で、確か和文英訳の解答だった。「何かヘンな言い方だなあ、和風英語じゃないのか」と思ったのを覚えているが、その後、ネイティブスピーカーの英文でも目にして、自分の思い込みを恥じた。

このところいろいろ表現を拾っている犯罪ノンフィクション People Who Eat Darkness (邦題「黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実」)にも出てきた。

事件の被害者 Lucie Blackman さんは六本木でホステスをしていたが、最初の引用は、著者が背景知識として日本の風俗産業について説明している部分にあったものだ。

- In Roppongi there are 'massage' parlours, where a perfunctory rub-down is the pretext for a manually administered happy ending. There are fasshyon herusu ('fashion health') facilities offering a wider range of services, excluding conventional intercourse. This can be had at a sopu rando ('soap land' - the pretext here is an all-over wash by a woman who employs her body as a sponge).
(People Who Eat Darkness by Richard Lloyd Parry)

- The characters on the huge front gate in Kitabatake identified the family as Kim. But they also used the name Hoshiyama. Koreans often took new names because of the advantages to be had from fitting in, from being able to pass as Japanese. But the effort was self-defeating, because the names which they chose still distinguished them as Koreans.
(ibid.)

もうひとつ、前にも何回か取り上げたことがあるアイザック・アシモフの短編ミステリ「黒後家蜘蛛の会」シリーズの作品で見つけた実例も学習ノートにメモしていた。

- When I was considerably younger than I am now, I was of some help to various law enforcement agencies. At that time, there was money to be had in these comic strips about heroes, and a friend of mine suggested that I serve as a model for one.
(The Return of the Black Widowers by Isaac Asimov)

私が使っている電子辞書にもいろいろ例文が載っていたが、上記とはまた違う may be had の形も含めて引用しよう。

- It can be had for nothing. ただで得られる
- The separate volumes may be had singly. 各巻一冊ずつ分売する
(以上、研究社英和大辞典)
- It can't be obtained (had) for love or money. それは絶対に手に入らない
(注: not...for love or money = not...by any means)
- This book may be had for the asking. この本は申し込めばだれでももらえます
- A good view of Saint-Tropez and the surrounding country may be had from... サントロペとその付近が...からよく見える
(以上、新編英和活用大辞典)

私がこの言い方に初めて出会った英作文の問題はもちろん覚えていないが、社会人になってから、錆びついていた英語力に油を差そうと取り組んだ「和文英訳十二講」という参考書の解答にも出てきたという記憶がある。今でも持っているので引っぱり出して探したら、あった。いまだに私が思いつくのは例えば available であり、この言い方ではないので、進歩がなく表現の幅が狭いままなのがくやしい。

- 受動態は一体如何なる場合に用いられるのかを調べてみよう。
1. 話者の関心が行為者よりもその行為を受ける人なり物なりへ向けられている場合
(中略)
その本は丸善で買えますか。
Is the book to be had at Maruzen's?
(「和文英訳十二講」 篠田錦策、佐々木高政共著)

この本は私が生まれる前に初版が出た古いものだが、捨てずに持っているのは著者のひとりが佐々木高政氏だからだ(「高」は、正確にはいわゆる「はしごだか」だが、うまく変換できないので「高」で表記する)。

今の若い人はご存じないかもしれないが、佐々木氏の英語参考書はどれも古典的な名著で、内容は高度、また「はしがき」などが独特の名調子で書かれていて味わい深い。私以上の年齢層であれば、懐かしく思い出す人もいることだろう。

私が氏の参考書を知ったのはこれも高校生の時、受験勉強ではなく、「20カ国語ペラペラ」(種田輝豊著、絶版)という本に「佐々木高政の『和文英訳の修業』にある500の基本例文を暗記したのが英語力の基礎になった」とあったからだった。

この「和文英訳の修業」の評判は他でも読んだので買ってみたが、非常にレベルが高く(書名が「修行」と誤って紹介されることがあるが、そちらの方がふさわしいような難度である)、結局ほとんど斜め読みしただけで終わってしまった。

これに収録されている500の基本文例集について、佐々木氏は「はしがき」で、

- 私はあちらの辞書、新聞雑誌、小説戯曲のたぐいから、それだけを切り離して読んでもどんな状況のもとに言われているかの察しがつくようなもので、口にのせて調子よく、一口に言えて覚えやすく、しばしば用いられて応用もきく、といった種類の文例を長い月日をかけて集めてみた。(中略)

根気よくこれをくり返しくり返し読んでいただきたい。日本文をチラッと見て英文が一息にスラスラと言えるまでに自らを訓練するのである。そうしてしばらくするとその文例は次第に消化されて自分のものとなり、時に応じて英語が口を突き、指先にうずくようになる。
(「和文英訳の修業」)

と書いている。しかし根性のない私は、いつまでたっても「チラッと見てスラスラ」にはほど遠い状態のままだった。それでも、「そんなつまらんことでくよくよするな」 "Don't let a little thing like that worry you." という文など、「なるほど let はこういう風に使えるのか」と大いに感心し、いまでも口をついて出てくる数少ない例外である。

残念ながら「和文英訳十二講」と「和文英訳の修業」はそれぞれの出版社が倒産して絶版となってしまったようだが、今でも現役で書店に並んでいる著書もある。古くなった内容や表現があるだろうし、装丁も今の時代ではありえない一色刷りの古色蒼然たる造りのままだが、末永く版を重ねてほしい。

怠惰な私は、時おりそうした著書を本棚から取り出してぱらぱらとページを繰る程度だが、「はしがき」などの名文を読むと、佐々木高政氏の英語にかける情熱や学習者への叱咤激励に「これではいかん」と自分を恥じて、背筋を伸ばして小一時間程度だが本文を少しじっくり読むことも(まれに)ある。ただこれでは、

- 日本語でなら言葉遣い一つでその人の育ち、教養、感性から知性まで、またどんな意図、どのような感情をこめて言ったり書いたりしているかがピンピンわかる。それが英語においても出来てほしい
(「英文解釈考」はしがき)

という段階・境地には、いつまでたっても到達できそうにない。


和文英訳の修業

和文英訳の修業

  • 作者: 佐々木 高政
  • 出版社/メーカー: 文建書房
  • 発売日: 1981/01
  • メディア: 単行本


新訂・英文解釈考

新訂・英文解釈考

  • 作者: 佐々木 高政
  • 出版社/メーカー: 金子書房
  • 発売日: 1980/03/20
  • メディア: 単行本


英文構成法

英文構成法

  • 作者: 佐々木 高政
  • 出版社/メーカー: 金子書房
  • 発売日: 1973/03
  • メディア: 単行本


和文英訳十二講

和文英訳十二講

  • 作者: 篠田 錦策
  • 出版社/メーカー: 洛陽社
  • 発売日: 2009/04
  • メディア: 単行本


20カ国語ペラペラ (1973年)

20カ国語ペラペラ (1973年)

  • 作者: 種田 輝豊
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 1973
  • メディア: -


The Return of the Black Widowers

The Return of the Black Widowers

  • 作者: Isaac Asimov
  • 出版社/メーカー: Carroll & Graf
  • 発売日: 2005/11/10
  • メディア: ペーパーバック



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コメント 6

Euler

佐々木氏の著作の中では「新訂・英文解釈考」を読んだことがありますね。
受験生の頃は忙しくて読むことができず、大学に入ってからじっくりと読み進めていったのがこの本です。
近々もう一度読んでみようと思います。


by Euler (2016-05-08 20:31) 

tempus fugit

Eulerさんは凄いですね。私は「英文解釈考」を社会人になってから手に入れたうえ、いまだに虫食いの拾い読み状態で、じっくり通読したことはありません。根が怠慢だからという理由のほか、「学習書を読む時間があったら、実際の英文に触れたほうがいい」という考えもありました。

しかし人生も後半戦に入って久しくなった今、最近は、新聞や雑誌などのその場限りといえる英文(および日本語の文章)をあくせく追っかけて読むより、まとまった内容の本を読む方が大切だと考えるようになってきました。その意味もあって、いまだ拾い読みとはいえ、「英文解釈考」を手にすることが、以前より増えてきたように思っています。


by tempus fugit (2016-05-09 23:00) 

satyrshedim

佐々木高政さんといえば 古文の 小西甚一さんとともに 本気で
学習参考書を書いた人ですね、わたしも学生時代にずいぶんと
お世話になりました。あれから半世紀が過ぎた今も 書棚に 場所を占めています。このお二人は 本気ですから 古文研究法なんかは 受験参考書でありながら学術書になっていました
佐々木高政さんの 修業と構成法は いまとなっては 些か古風な
英文ですが 今でも十分通用すると思いますね。


by satyrshedim (2016-09-13 00:09) 

tempus fugit

小西甚一氏の古文の参考書は、ちくま文庫に収録されて今でも読むことができますね。佐々木高政氏の著書も、どこかが復刊してくれないものでしょうか。

by tempus fugit (2016-09-13 23:24) 

Euler

ジョージ・オーウェルの「カタロニア讃歌(Homage to Catalonia)」の中に、この表現がありました。

- Yet this mob of eager children, who were going to be thrown into the front line in a few days' time, were not even taught how to fire a rifle or pull the pin out of a bomb. At the time I did not grasp that this was because there were no weapons to be had.
by Euler (2020-01-21 01:55) 

tempus_fugit

Euler さん、ありがとうございました。注意深く見ればあちこちで使われている表現なのでしょうね。

by tempus_fugit (2020-01-23 00:02) 

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