moral equivalence 「けんか両成敗」(トランプの白人主義対応に批判) [辞書に載っていない表現]
アメリカで起きた白人至上主義者と反対派の衝突について、トランプ大統領が先日「双方に非がある」と述べて物議を醸したが、その英語ニュースを見ていたら、moral equivalence という言い回しがちょくちょく出てきた。
私がこの表現に反応した理由のひとつは、似た言葉に接したことがあるからだ。以前訃報を取り上げた”同時通訳の神様”國弘正雄氏が、講演で "moral equivalent of war" という表現について話したのを今でも覚えている。
それについては後述することにして、まずは今回の騒ぎについての記事から引用しよう。
- Trump said he condemned "in the strongest possible terms this egregious display of hatred, bigotry and violence on many sides." His remarks received criticism from both sides of the aisle, with fellow Republicans slamming Trump's lack of directness and attempt to inject moral equivalence into the situation of chaos and terror.
("The week in politics" CNN Aug 12, 2017)
- That instinctive reflex was what got him into trouble Saturday, when he condemned violence on "many sides," appearing to draw a moral equivalence between neo-Nazis and opponents who showed up to protest their rally.
("Why Trump's spontaneous moments on race tell us more than the scripted ones" CNN Aug 15, 2017)
- Sen. Jeff Merkley, D-Ore., tweeted, “Trump just repeated his previous views of the moral equivalence of white supremacists and civil rights protesters in #Charlottesville,” adding, “@realDonaldTrump, there is no moral equivalence between those who fight for civil rights and white supremacists.”
("Lawmakers slam Trump for laying 'blame on both sides' in Charlottesville rally" ABC News Aug 15, 2017)
具体的にどういう意味なのだろうか。「道徳的等価物」「倫理的に同じような価値を持つもの」などと訳してみても要領を得ない。
ネットに多くの実例があるのを見ても以前から使われていることがわかるが、この言葉を収録している辞書は、オンライン版を含めて見当たらなかった。
さらにウェブを調べると、Wikipedia などいくつかのサイトに説明があったが、どれも記述がえらく難しく、くやしいが私の英語力と頭の程度ではどうもよくわからない。
そのうちに、やっと私にも理解できそうな説明が見つかった。子ども同士のケンカをたとえに使って書いており、この言葉が表す言動に伴う問題点も指摘している。少し長いが引用しよう。
- Moral equivalence is the claim that two radically different ethical actors are really doing the same thing and that they should be judged and treated the same way.
For example, if two schoolchildren are scuffling and hitting each other in the playground, a judgment of "moral equivalence" by the teacher may result in separating the two and (perhaps) punishing them both equally (for "fighting").
The problem with moral equivalence as an ethical doctrine is that it completely sidesteps the crucial issue of right and wrong; see good and evil. If one of the children in our example was a notorious school bully, and the other child was fighting back in self-defense, then it would clearly be wrong to punish them both equally.
https://simple.wikipedia.org/wiki/Moral_equivalence
つまり、二者が異なる考えを持ち対立している場合に、どちらに分があるかを突き詰めることなく、「どっちも同じだ」といっしょくたに扱うことを指す言葉らしい。
とっさに頭に浮かんだのが「喧嘩両成敗」で、今回のタイトルにも使ってみたが、実のところあまり適切とはいえないだろう。
実例や説明を見ると、この日本語ほど気軽に使うような言葉ではなさそうだし、双方を同等に扱うことが正しいのか、という疑念が感じられる。文字通りモラル・道徳観を問うている、といえばいいだろうか。
上記のたとえでは、素行の悪いいじめっ子と、そのいじめから身を守ろうとしている子どもの間の乱闘を、「どちらもケンカをしていることでは同じ」と両方を罰するのは明らかにおかしい、としている。過去の実例を見ると、冷戦をめぐる論議で使われていたりする。
そして、難しげな単語を使ったこの表現の由来も、戦争と関係があるようだ。Simple English Wikipedia というサイトに、次のような説明があった。
- The term originates from a 1906 speech by William James. The title of the speech was The Moral Equivalent of War.
The term's popular use was expanded by Jeane Kirkpatrick, who was US ambassador to the United Nations when Ronald Reagan was President of the United States. In 1966, Kirkpatrick published "The Myth of Moral Equivalence" which responded to the argument that there was "no moral difference" between the Soviet Union and democratic states.
https://simple.wikipedia.org/wiki/Moral_equivalence
ということで、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズが100年以上前に使った言葉が由来ということになる。ウェブにある説明によると、簡単にいえば「戦争によってもたらされる国民の一体感や規律を、道徳的な手段・非軍事的な活動によって生み出そう」という考えを指すらしい。
私は前述したように、この moral equivalent of war という言葉を國弘正雄氏の講演で知った。学生時代のことなのに今でも覚えているのは、英語として面白い表現だと思ったこともあるが、筋金入りの平和主義者だった國弘先生が、そうしたテーマについて熱を込めて語っていた時に出てきたからだろう。
といっても記憶にあるのはこの言葉だけで、話の内容は忘れてしまっている。今も何冊か持っている國弘先生の著書のどこかに、講演と同じようなことが書かれているのではと思ったが、詳しく調べる余裕がない。
ただその中の一冊に、ごく短いが次のような一節があるのを見つけることはできた。19世紀末のアメリカで、超国粋主義と、それに対抗する反帝国主義の動き(そのグループのひとりがジェームズ)があったことを書いた部分である。
- 悪しき戦争に反対することこそが真にアメリカを愛するゆえんである、とジェームズら―小説家のマーク・トゥエインも含まれていた―は信じていたのである。(中略)ジェームズの言った moral equivalent of war (戦争の道義的な代替価値)ということばとともに思いかえしてみたい点である。
(國弘正雄 「現代アメリカ英語1」)
ジェームズの言葉は、現在の moral equivalence の意味とは多少ニュアンスが異なっているようだが、そうであっても、上記の本に書かれている当時の状況と、今のアメリカ社会が重なって見えてしまう。
そんなこともあって(というより正直なところ、Kindle版が100円という安さだったことにつられて)ジェームズのエッセイをダウンロードしてしまった。そのうち読んでみたい。
最後に英語についての余談だが、名詞としての moral は、単数だと寓話・挿話などの「教訓」を指し、「道徳」「倫理」「品行」の意味で使う時は通常 morals と複数形になるので注意したい。
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私がこの表現に反応した理由のひとつは、似た言葉に接したことがあるからだ。以前訃報を取り上げた”同時通訳の神様”國弘正雄氏が、講演で "moral equivalent of war" という表現について話したのを今でも覚えている。
それについては後述することにして、まずは今回の騒ぎについての記事から引用しよう。
- Trump said he condemned "in the strongest possible terms this egregious display of hatred, bigotry and violence on many sides." His remarks received criticism from both sides of the aisle, with fellow Republicans slamming Trump's lack of directness and attempt to inject moral equivalence into the situation of chaos and terror.
("The week in politics" CNN Aug 12, 2017)
- That instinctive reflex was what got him into trouble Saturday, when he condemned violence on "many sides," appearing to draw a moral equivalence between neo-Nazis and opponents who showed up to protest their rally.
("Why Trump's spontaneous moments on race tell us more than the scripted ones" CNN Aug 15, 2017)
- Sen. Jeff Merkley, D-Ore., tweeted, “Trump just repeated his previous views of the moral equivalence of white supremacists and civil rights protesters in #Charlottesville,” adding, “@realDonaldTrump, there is no moral equivalence between those who fight for civil rights and white supremacists.”
("Lawmakers slam Trump for laying 'blame on both sides' in Charlottesville rally" ABC News Aug 15, 2017)
具体的にどういう意味なのだろうか。「道徳的等価物」「倫理的に同じような価値を持つもの」などと訳してみても要領を得ない。
ネットに多くの実例があるのを見ても以前から使われていることがわかるが、この言葉を収録している辞書は、オンライン版を含めて見当たらなかった。
さらにウェブを調べると、Wikipedia などいくつかのサイトに説明があったが、どれも記述がえらく難しく、くやしいが私の英語力と頭の程度ではどうもよくわからない。
そのうちに、やっと私にも理解できそうな説明が見つかった。子ども同士のケンカをたとえに使って書いており、この言葉が表す言動に伴う問題点も指摘している。少し長いが引用しよう。
- Moral equivalence is the claim that two radically different ethical actors are really doing the same thing and that they should be judged and treated the same way.
For example, if two schoolchildren are scuffling and hitting each other in the playground, a judgment of "moral equivalence" by the teacher may result in separating the two and (perhaps) punishing them both equally (for "fighting").
The problem with moral equivalence as an ethical doctrine is that it completely sidesteps the crucial issue of right and wrong; see good and evil. If one of the children in our example was a notorious school bully, and the other child was fighting back in self-defense, then it would clearly be wrong to punish them both equally.
https://simple.wikipedia.org/wiki/Moral_equivalence
つまり、二者が異なる考えを持ち対立している場合に、どちらに分があるかを突き詰めることなく、「どっちも同じだ」といっしょくたに扱うことを指す言葉らしい。
とっさに頭に浮かんだのが「喧嘩両成敗」で、今回のタイトルにも使ってみたが、実のところあまり適切とはいえないだろう。
実例や説明を見ると、この日本語ほど気軽に使うような言葉ではなさそうだし、双方を同等に扱うことが正しいのか、という疑念が感じられる。文字通りモラル・道徳観を問うている、といえばいいだろうか。
上記のたとえでは、素行の悪いいじめっ子と、そのいじめから身を守ろうとしている子どもの間の乱闘を、「どちらもケンカをしていることでは同じ」と両方を罰するのは明らかにおかしい、としている。過去の実例を見ると、冷戦をめぐる論議で使われていたりする。
そして、難しげな単語を使ったこの表現の由来も、戦争と関係があるようだ。Simple English Wikipedia というサイトに、次のような説明があった。
- The term originates from a 1906 speech by William James. The title of the speech was The Moral Equivalent of War.
The term's popular use was expanded by Jeane Kirkpatrick, who was US ambassador to the United Nations when Ronald Reagan was President of the United States. In 1966, Kirkpatrick published "The Myth of Moral Equivalence" which responded to the argument that there was "no moral difference" between the Soviet Union and democratic states.
https://simple.wikipedia.org/wiki/Moral_equivalence
ということで、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズが100年以上前に使った言葉が由来ということになる。ウェブにある説明によると、簡単にいえば「戦争によってもたらされる国民の一体感や規律を、道徳的な手段・非軍事的な活動によって生み出そう」という考えを指すらしい。
私は前述したように、この moral equivalent of war という言葉を國弘正雄氏の講演で知った。学生時代のことなのに今でも覚えているのは、英語として面白い表現だと思ったこともあるが、筋金入りの平和主義者だった國弘先生が、そうしたテーマについて熱を込めて語っていた時に出てきたからだろう。
といっても記憶にあるのはこの言葉だけで、話の内容は忘れてしまっている。今も何冊か持っている國弘先生の著書のどこかに、講演と同じようなことが書かれているのではと思ったが、詳しく調べる余裕がない。
ただその中の一冊に、ごく短いが次のような一節があるのを見つけることはできた。19世紀末のアメリカで、超国粋主義と、それに対抗する反帝国主義の動き(そのグループのひとりがジェームズ)があったことを書いた部分である。
- 悪しき戦争に反対することこそが真にアメリカを愛するゆえんである、とジェームズら―小説家のマーク・トゥエインも含まれていた―は信じていたのである。(中略)ジェームズの言った moral equivalent of war (戦争の道義的な代替価値)ということばとともに思いかえしてみたい点である。
(國弘正雄 「現代アメリカ英語1」)
ジェームズの言葉は、現在の moral equivalence の意味とは多少ニュアンスが異なっているようだが、そうであっても、上記の本に書かれている当時の状況と、今のアメリカ社会が重なって見えてしまう。
そんなこともあって(というより正直なところ、Kindle版が100円という安さだったことにつられて)ジェームズのエッセイをダウンロードしてしまった。そのうち読んでみたい。
最後に英語についての余談だが、名詞としての moral は、単数だと寓話・挿話などの「教訓」を指し、「道徳」「倫理」「品行」の意味で使う時は通常 morals と複数形になるので注意したい。
現代アメリカ英語〈1〉―クニヒロのアメリカーナ (1975年)
- 作者: 国弘 正雄
- 出版社/メーカー: サイマル出版会
- 発売日: 1975
- メディア: -
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