日本のマンガの英訳にシェイクスピアのセリフが使われていた (高橋留美子「めぞん一刻」) [英語文化のトリビア]
先日に続いて、高橋留美子の名作コミック「めぞん一刻」英語版で拾ったネタを取り上げよう。今回は、元の日本語と意図的に異なる英訳にすることで、文化的な違いを乗り越えようとしたと思われる例である。
舞台となっているアパートで、主人公の「五代くん」と住人の「四谷さん」がくだらないことで言い争いを続けた末、こんなやりとりをする。
- 四谷さん:珍しく開き直りましたな。
五代くん:そうそうおどしに乗ってられますか。
(高橋留美子「めぞん一刻」第3巻)
状況は詳述してもわかりづらいので省くが、言い争いは傍目から見るとコミカルなもので、アパートの修繕に来ていた大工たちが作業をやめて正座して2人を眺めている。それを見て、別の住人「一の瀬さん」が声をかける。
- 一の瀬さん:(大工に)あんたら、ここは寄席じゃないんだよ。
大工のひとり:寄席よりおもしれえ。
一連のやりとりや「寄席」を無理に英訳しても理解してもらうのは困難と翻訳者は考えたのか、英語版はまったく違う形になっていた。
- 四谷さん:"The lad doth protest too much, me thinks."
五代くん:"We will have all offenders so cut off." Ha!
- 一の瀬さん: This ain't masterpiece theatre, you know!
大工: Yeah! This is way better!
引用符がついているうえ、四谷さんの言葉は明らかに現代英語ではない。一の瀬さんの言葉とあわせて考えると、何かの古典劇のセリフではと想像できる。
そうであれば、シェイクスピアをおいて他にあるまい。
ウェブで調べるとすぐに見つかった。四谷さんの言葉は、「ハムレット」の第3幕第2場で演じられる劇中劇について、王妃が息子のハムレットと交わすセリフだった。
- Hamlet: Madam, how like you this play?
Queen: The lady doth protest too much, methinks.
(Hamlet by William Shakespeare)
- ハムレット:母上、この芝居、いかがですか。
王妃:妃の誓いがくどすぎるように思います。
(「ハムレット」 河合祥一郎訳)
ここでの protest は「誓約する」、doth は does、また methinks は "I think" や "it seems to me” を意味する。四谷さんが lady ではなく lad (若い男)と言いかえているのは、大学生である五代くんにあわせたものだろう。
そして驚いたことに、このセリフは俗語・流行語を広く扱っている Urban Dictionary などのウェブ辞書にも載っていた。
- When somebody keeps denying something to the point where you start to think they actually did it
From Hamlet
(Urban Dictionary)
- It is suspected that, because someone is insisting too much about something, the opposite of what he or she is saying must be true.
(Wiktionary)
つまり、「何度も否定すると、かえって疑わしく思えてくる」「くどくど言い張るのは、実は逆のことを言いたいのではないかと勘ぐってしまう」と言いたい場合に今でも使われるらしい。この場合の protest は「ハムレット」での古義よりも、現代英語に沿っているのだろう。
マンガの原文「開き直る」と同じではないが、上記の意味でもこの場面にそぐわないものではない。なお、四谷さんは真面目そうに見えておかしな言動をする変人だが、英語版ではそれを際立たせるためだろう、いつも堅苦しい言葉遣いをしている。なのでシェイクスピアのセリフも奇異な感じはしない。
一方、これに対する五代くんの言葉は、同じくシェイクスピアの「ヘンリー五世」第3幕第6場に出てくる
- We would have all such offenders so cut off.
(Henry V by William Shakespeare)
だとわかった。
書店で翻訳を見つけられなかったのでウェブの説明を読んだところ、ヘンリー五世の昔からの知りあいであるバードルフ Bardolph という人物が教会で略奪を働いた際、王が温情を見せることなく「犯罪者は絞首刑にせよ」と述べたセリフだということだ。
これを四谷さんへの反撃としてどのように読めばいいのか私には正直よくわからないし、ネットにある「シェイクスピア名セリフ集」のどれにも載っておらず、劣等生という設定の五代くんが間髪を入れずに口にするのも「らしくない」ように感じる。
とはいえ、2人にシェイクスピアのセリフでやりとりをさせたうえで寄席ならぬ masterpiece theatre で受け、大工が正座して2人を眺めているシーンにつなげることで、日本文化を知らない読者も自然な流れで読めるように工夫したことは見て取れる。
翻訳者は言葉の面だけでなく、教養や機転も求められるのだな、と大いに感心してしまった。そして読む方もうかうかしていられない。マンガだから、といって軽くみるとバチが当たりそうな実例であった。
参考記事:
・「ハムレット」の名セリフの訳
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2007-06-23
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舞台となっているアパートで、主人公の「五代くん」と住人の「四谷さん」がくだらないことで言い争いを続けた末、こんなやりとりをする。
- 四谷さん:珍しく開き直りましたな。
五代くん:そうそうおどしに乗ってられますか。
(高橋留美子「めぞん一刻」第3巻)
状況は詳述してもわかりづらいので省くが、言い争いは傍目から見るとコミカルなもので、アパートの修繕に来ていた大工たちが作業をやめて正座して2人を眺めている。それを見て、別の住人「一の瀬さん」が声をかける。
- 一の瀬さん:(大工に)あんたら、ここは寄席じゃないんだよ。
大工のひとり:寄席よりおもしれえ。
一連のやりとりや「寄席」を無理に英訳しても理解してもらうのは困難と翻訳者は考えたのか、英語版はまったく違う形になっていた。
- 四谷さん:"The lad doth protest too much, me thinks."
五代くん:"We will have all offenders so cut off." Ha!
- 一の瀬さん: This ain't masterpiece theatre, you know!
大工: Yeah! This is way better!
引用符がついているうえ、四谷さんの言葉は明らかに現代英語ではない。一の瀬さんの言葉とあわせて考えると、何かの古典劇のセリフではと想像できる。
そうであれば、シェイクスピアをおいて他にあるまい。
ウェブで調べるとすぐに見つかった。四谷さんの言葉は、「ハムレット」の第3幕第2場で演じられる劇中劇について、王妃が息子のハムレットと交わすセリフだった。
- Hamlet: Madam, how like you this play?
Queen: The lady doth protest too much, methinks.
(Hamlet by William Shakespeare)
- ハムレット:母上、この芝居、いかがですか。
王妃:妃の誓いがくどすぎるように思います。
(「ハムレット」 河合祥一郎訳)
ここでの protest は「誓約する」、doth は does、また methinks は "I think" や "it seems to me” を意味する。四谷さんが lady ではなく lad (若い男)と言いかえているのは、大学生である五代くんにあわせたものだろう。
そして驚いたことに、このセリフは俗語・流行語を広く扱っている Urban Dictionary などのウェブ辞書にも載っていた。
- When somebody keeps denying something to the point where you start to think they actually did it
From Hamlet
(Urban Dictionary)
- It is suspected that, because someone is insisting too much about something, the opposite of what he or she is saying must be true.
(Wiktionary)
つまり、「何度も否定すると、かえって疑わしく思えてくる」「くどくど言い張るのは、実は逆のことを言いたいのではないかと勘ぐってしまう」と言いたい場合に今でも使われるらしい。この場合の protest は「ハムレット」での古義よりも、現代英語に沿っているのだろう。
マンガの原文「開き直る」と同じではないが、上記の意味でもこの場面にそぐわないものではない。なお、四谷さんは真面目そうに見えておかしな言動をする変人だが、英語版ではそれを際立たせるためだろう、いつも堅苦しい言葉遣いをしている。なのでシェイクスピアのセリフも奇異な感じはしない。
一方、これに対する五代くんの言葉は、同じくシェイクスピアの「ヘンリー五世」第3幕第6場に出てくる
- We would have all such offenders so cut off.
(Henry V by William Shakespeare)
だとわかった。
書店で翻訳を見つけられなかったのでウェブの説明を読んだところ、ヘンリー五世の昔からの知りあいであるバードルフ Bardolph という人物が教会で略奪を働いた際、王が温情を見せることなく「犯罪者は絞首刑にせよ」と述べたセリフだということだ。
これを四谷さんへの反撃としてどのように読めばいいのか私には正直よくわからないし、ネットにある「シェイクスピア名セリフ集」のどれにも載っておらず、劣等生という設定の五代くんが間髪を入れずに口にするのも「らしくない」ように感じる。
とはいえ、2人にシェイクスピアのセリフでやりとりをさせたうえで寄席ならぬ masterpiece theatre で受け、大工が正座して2人を眺めているシーンにつなげることで、日本文化を知らない読者も自然な流れで読めるように工夫したことは見て取れる。
翻訳者は言葉の面だけでなく、教養や機転も求められるのだな、と大いに感心してしまった。そして読む方もうかうかしていられない。マンガだから、といって軽くみるとバチが当たりそうな実例であった。
参考記事:
・「ハムレット」の名セリフの訳
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2007-06-23
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