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英語の語順に従って読んでこそ味わえる面白さ [翻訳・誤訳]

前回取り上げた Parthian shot 「捨てゼリフ」で引用したシャーロック・ホームズの原作の一節を読んで、ちょっと考えたことがあるのでメモしておきたい。

ホームズ作品の第1作「緋色の研究」のはじめの方に出てくる場面だが、再度引用しよう。殺人事件の現場を調べたロンドン警視庁の刑事が示した推理を、その場にいたホームズが一笑に付して去っていく(より詳しくは、前回を参照いただきたい)。

- 'One other thing, Lestrade,' he [Holmes] added, turning round at the door: '"Rache" is the German for "revenge"; so don't lose your time by looking for Miss Rachel.
With which Parthian shot he walked away, leaving the two rivals open-mouthed behind him.
(A Study in Scarlet by Arthur Conan Doyle)

私はホームズもののファンなのでこの作品の翻訳も複数持っているが、with 以下の一文は、いずれも「ホームズは捨てゼリフを言い、口をぽかんとあけた2人の刑事を後にしてその場を去った」というように訳している(もちろん細かい点では違いがあるが)。

もちろんこれでいいのだが、...he walked away, leaving the two rivals... という原文の流れからは、「ホームズが捨てゼリフを言って部屋から出て行き、後には2人が口をあけたまま残っている」情景が私には浮かんでくる。

つまり映像にすれば、この場面は、「2人を室内に残してホームズが去っていく」ところを描いたカットではなく、「ホームズがいなくなり、後には2人が呆然と立ちつくしている」様子で終わる、という感じである。同じようでいて、実は同じではないのだ。

だから、翻訳も「…ホームズは出ていった」で終わるのではなく、「…2人の警官が後に残った」という形で文を締める形にした方が、原文に近い効果を出せるのではないかと思うのだが、どうだろうか。

もちろんネイティブはこんな短い文は一瞬で読んでしまうだろうから、ゆっくり言葉を追って情報を処理するわけではなかろう。また前回書いたように、私が今回この一節を拾ったのはドラマ「シャーロック」の再放送がきっかけなので、その影響もあってこの文を過度に映像的に読んだのかもしれない。

しかし一方で、翻訳でなく原文で読む楽しみは、こんなところにもあるのではないだろうか、とも思うのである。

・・・と、ここまで書いてきて、原文と翻訳の語順について以前同じようなことを取り上げたという気がして、古いエントリを調べたらその通りだった(→ 「不思議の国のアリス」の新訳)。ただそこでは具体例をあげていなかったので、ついでに書いてみよう。

それは「不思議の国のアリス」の最後の部分である。単語自体は簡単だが長い文なので、途中から引用すると、

- ...and how she would feel with all their simple sorrows, and find a pleasure in all their joys, remembering her own child-life, and the happy summer days.
(Alice's Adventure in Wonderland by Lewis Carroll)

ここでの she は大人になったアリス、their の they はアリスの子どもたちを指すが、引用しなかった直前の部分を含めた全体の主語はアリスのお姉さんである(妹アリスの将来を想像している)。ちょっとややこしいが、いずれにせよ出ている翻訳を見た限りでは、最後は「アリス(あるいはお姉さん)は~する・した」という形で終わっているものがほとんどだ。

ところが、原作の一番最後は上記のように ...the happy summer days である。これは、大人になった時に振り返る子ども時代の夏の体験を指しており、余韻を感じさせる締めといえそうなのだ。

そして、以前書いたエントリで紹介した翻訳(河合祥一郎訳、角川文庫)は、

- 子どもたちの無邪気な喜びや悲しみに一喜一憂しながら、きっと思い出すことでしょう。自分自身の子ども時代を、そしてあの幸せな夏の日々を。

と、原文に従って要素を並べ、ちゃんと the summer days で締めている。日本語としては倒置だが不自然というほどではないし、何よりもこれによって余韻が生まれていると感じる。ここを「アリスは~を思い出すだろう(とお姉さんは思った)」のようにした訳だと、英文解釈としては正しくても、どうも雰囲気が削がれるように思う。

原文通りの語順ということでもうひとつ。ジェーン・オースティンの 「高慢と偏見」(あるいは「自負と偏見」)の出だしは、この作品をちゃんと読んだことがない私でも知っているほどで、英語文化の常識となっている有名な文らしい。

- It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune, must be in want of a wife.
(Pride and Prejudice by Jane Austen)

翻訳はいくつも出ているが、私が見た範囲では、細部は違えどほとんどが「金を持っている独身の男なら妻を探しているに違いない、というのは、広く世間に認められている真理である」というようになっているはずだ。

in possession of と in want of を対にした上手い文だが、私が初めてこの英文に触れた時にもうひとつ面白いと思ったのは、「世間に広く認められた真理があるが(え、いったい何だろう)・・・独身で金を持っている男なら、あと足りないものといえば妻であるはずだ(何だ、ずいぶん下世話なことだな)」という合いの手を入れたくなるような、文の前半と後半の落差だった。

これを英文和訳的にひっくりかえして「・・・というのが真理だ」と訳したのでは、原文の面白さが減ってしまうのではないだろうか。「公認の真理といえば・・・」と重々しく始まったと思ったら、「独身男で、金がうなっているのなら間違いなく花嫁募集中だ」と来るから印象的なのだと思う。

とはいえ、こうした考えは私の勝手な思い込みかもしれないので、絶対正しいと言い張るつもりはないし、外国語はすべて原文の語順通りに訳さなくてはいけないと言いたいわけでもない。何でもかんでも原文と同じ順で要素や情報を訳していくのはそもそも無理で、日本語として不自然になったら意味がない。

ただ読む側としては、原文の語順から何らかの効果や意図が読み取れると思える場合は、不自然にならない形でそれを再現してほしいと考えてしまう。

そして、これを裏返して考えれば、原語のまま外国語を読む・聞くことの大切さ、あるいは利点にもつながるように思ったしだいである。

過去の参考記事:
「印象的な書き出し」紹介サイトで英語を学ぶ (famous opening lines)
Call me Ishmael. 「まかりいでたのはイシュメールと申す風来坊だ」(メルヴィル「白鯨」)


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