「お楽しみはこれからだ」~ 否定を強調する二重否定 [英語のトリビア]
問題発言をしたトランプ大統領が「二重否定の言い間違いだった」と弁明したことを前回取り上げたが、「二重否定」で私がすぐに連想するのは、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」と、古い映画の名セリフ「お楽しみはこれからだ」である。
The Rolling Stones のヒット曲は、 (I Can't Get No) Satisfaction という原題だ(カッコがついたこの形がタイトルである)。そして歌自体も
- I can't get no satisfaction
と始まる。十代の時に初めて聞いて、英語が聞き取れると喜んだので、私にとって印象深い作品である。当時の私がもっぱら聞いていたのはビートルズだが、歌詞がまともに聞き取れた歌はほとんどなかった。
学校では「否定の否定は肯定」と教わったが、後述するように、これは否定を重ねて強調するやり方だ。言葉は生きた人間が使うもの、理屈で割り切れるとは限らない。この歌を理屈に従って "I can't get any satisfaction" とすると締まらないし、ストーンズらしくない、と思ってしまうほどだ。
もうひとつの「お楽しみはこれからだ」の方は、高校生の時、才人イラストレーター和田誠氏が書いた同名の本で知った。映画の名セリフを紹介する内容だが、タイトルに使われたのが、世界初のトーキーといわれる90年前の作品「ジャズ・シンガー」 The Jazz Singer に出てくる
- You ain't heard nothin' yet.
の”定訳”である。私はこの映画を見たことはなく、この日本語訳が最初にどのようにして出来たのかも知らないが、うまい!と唸らされる訳だ。
その後、翻訳小説などで、このセリフを訳したものと思われる言葉を時おり目にするようになり、どうやら一種の決まり文句のように使われているらしいと気づいた。
「訳したものと思われる」と書いたのは、いずれも原語を確認したのではないからだが、これが直訳風になっていると、「翻訳した英文学のセンセイは、映画のことを知らないのでは」と意地悪な感想を持ったりした。別に「お楽しみは~」と必ず訳すという決まりがあるわけではないのだが。
ain't はここでは have not ということだが、この言葉はbe動詞+notの意味でも使われる。それで連想するのが、ダイアナ・ロスがヒットさせた
- Ain't no mountain high enough
という曲である。
このタイトルだけだと何のことかわからないが、歌はこのあと "...to keep me from you" と歌われる。そして全体は「2人を分かつ障害なんて何もない」という内容のラブソングだ。
そこで、There is no mountain...と考えて、「2人を阻むほどの高い山はない」「どんなに高い山でも2人を隔てることはできない」という意味に取ればいいのだろう。
余談だが、私はこれを Diana Ross のオリジナルだと思っていたが、実はカバーだと知り、後にオリジナル(かのマーヴィン・ゲイも歌っているデュエット)を聞いた時にあまりの違いに驚いた。編曲の妙というか、ほとんど別の作品に聞こえる。
ながながと書いてきたが、以上はいずれも「否定語を重ねて否定を強調する」例となっている。
学校では「正しい英語ではない」と教えられたし、今でもそうだと思う。ただ私はこうした例に触れていたので、実際にはけっこう使われているらしい、と感じていた。
こうした二重否定は、実は
- 古期英語や中期英語では自然な語法として使われていたが、現在の英語では俗語として一般には認められていない。
(江川泰一郎著「英文法解説」)
とあるように、かつてはごく普通だったようだが、イギリスで17、18世紀に文法をめぐって論争が繰り広げられて様子が変わってきたという。
- 18世紀は秩序と規範を重んじる「理性の時代」だった。(中略)論理的、合理的であるかどうかという観点から、ある語法の是非を論じたのである。(中略)2重否定によって否定を強調するという語法は、マイナス×マイナス=プラスで論理的には肯定になってしまうので断固として許せない、といった風である。
(堀田隆一著「英語史で解きほぐす英語の誤解」)
ということで、いま標準となっている「二重否定は肯定」という語法は、どうやら慣用を論理でねじ伏せた結果らしいのだが、それでも、まさに
- There is no rule without exceptions.
というべきか、実際にはしぶとく生き残っているといえそうだ。
こうした実態を反映してか、私が使っている「スーパーアンカー英和辞典」の double negative の項には、
- 1つの文に否定語を2度使う言い方で2種類ある;くだけた言い方では意味は否定で、通例非標準とされる。たとえば、Nobody went. で済むところを Nobody didn't go. ということ;いっぽう、改まった言い方では、否定を否定するので肯定になる。
とある。「べからず」的な書き方よりも好ましい説明だと個人的には思う。
ついでにこの辞書で ain't を引くと、
- 通常<非標準>と考えられるが、ユーモアや強調効果をねらって用いることがある。1音節なので歌詞に多用される。
Say it ain't so. うそだと言ってくれ、そんなのってないだろう
You ain't seen nothing yet. まだ何も見て(経験して)いないのと同じだ(もっとすごい(ひどい)ことが待ち構えている、まだまだこれからだ(わかっちゃいないね)
と、やはり役立つ説明がなされている。ここでは heard とともによく使われると思われる seen となっているが、個人的にはやはり「お楽しみはこれからだ」という”定訳”も入れてほしかったので、そこがちょっと残念である。
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The Rolling Stones のヒット曲は、 (I Can't Get No) Satisfaction という原題だ(カッコがついたこの形がタイトルである)。そして歌自体も
- I can't get no satisfaction
と始まる。十代の時に初めて聞いて、英語が聞き取れると喜んだので、私にとって印象深い作品である。当時の私がもっぱら聞いていたのはビートルズだが、歌詞がまともに聞き取れた歌はほとんどなかった。
学校では「否定の否定は肯定」と教わったが、後述するように、これは否定を重ねて強調するやり方だ。言葉は生きた人間が使うもの、理屈で割り切れるとは限らない。この歌を理屈に従って "I can't get any satisfaction" とすると締まらないし、ストーンズらしくない、と思ってしまうほどだ。
もうひとつの「お楽しみはこれからだ」の方は、高校生の時、才人イラストレーター和田誠氏が書いた同名の本で知った。映画の名セリフを紹介する内容だが、タイトルに使われたのが、世界初のトーキーといわれる90年前の作品「ジャズ・シンガー」 The Jazz Singer に出てくる
- You ain't heard nothin' yet.
の”定訳”である。私はこの映画を見たことはなく、この日本語訳が最初にどのようにして出来たのかも知らないが、うまい!と唸らされる訳だ。
その後、翻訳小説などで、このセリフを訳したものと思われる言葉を時おり目にするようになり、どうやら一種の決まり文句のように使われているらしいと気づいた。
「訳したものと思われる」と書いたのは、いずれも原語を確認したのではないからだが、これが直訳風になっていると、「翻訳した英文学のセンセイは、映画のことを知らないのでは」と意地悪な感想を持ったりした。別に「お楽しみは~」と必ず訳すという決まりがあるわけではないのだが。
ain't はここでは have not ということだが、この言葉はbe動詞+notの意味でも使われる。それで連想するのが、ダイアナ・ロスがヒットさせた
- Ain't no mountain high enough
という曲である。
このタイトルだけだと何のことかわからないが、歌はこのあと "...to keep me from you" と歌われる。そして全体は「2人を分かつ障害なんて何もない」という内容のラブソングだ。
そこで、There is no mountain...と考えて、「2人を阻むほどの高い山はない」「どんなに高い山でも2人を隔てることはできない」という意味に取ればいいのだろう。
余談だが、私はこれを Diana Ross のオリジナルだと思っていたが、実はカバーだと知り、後にオリジナル(かのマーヴィン・ゲイも歌っているデュエット)を聞いた時にあまりの違いに驚いた。編曲の妙というか、ほとんど別の作品に聞こえる。
ながながと書いてきたが、以上はいずれも「否定語を重ねて否定を強調する」例となっている。
学校では「正しい英語ではない」と教えられたし、今でもそうだと思う。ただ私はこうした例に触れていたので、実際にはけっこう使われているらしい、と感じていた。
こうした二重否定は、実は
- 古期英語や中期英語では自然な語法として使われていたが、現在の英語では俗語として一般には認められていない。
(江川泰一郎著「英文法解説」)
とあるように、かつてはごく普通だったようだが、イギリスで17、18世紀に文法をめぐって論争が繰り広げられて様子が変わってきたという。
- 18世紀は秩序と規範を重んじる「理性の時代」だった。(中略)論理的、合理的であるかどうかという観点から、ある語法の是非を論じたのである。(中略)2重否定によって否定を強調するという語法は、マイナス×マイナス=プラスで論理的には肯定になってしまうので断固として許せない、といった風である。
(堀田隆一著「英語史で解きほぐす英語の誤解」)
ということで、いま標準となっている「二重否定は肯定」という語法は、どうやら慣用を論理でねじ伏せた結果らしいのだが、それでも、まさに
- There is no rule without exceptions.
というべきか、実際にはしぶとく生き残っているといえそうだ。
こうした実態を反映してか、私が使っている「スーパーアンカー英和辞典」の double negative の項には、
- 1つの文に否定語を2度使う言い方で2種類ある;くだけた言い方では意味は否定で、通例非標準とされる。たとえば、Nobody went. で済むところを Nobody didn't go. ということ;いっぽう、改まった言い方では、否定を否定するので肯定になる。
とある。「べからず」的な書き方よりも好ましい説明だと個人的には思う。
ついでにこの辞書で ain't を引くと、
- 通常<非標準>と考えられるが、ユーモアや強調効果をねらって用いることがある。1音節なので歌詞に多用される。
Say it ain't so. うそだと言ってくれ、そんなのってないだろう
You ain't seen nothing yet. まだ何も見て(経験して)いないのと同じだ(もっとすごい(ひどい)ことが待ち構えている、まだまだこれからだ(わかっちゃいないね)
と、やはり役立つ説明がなされている。ここでは heard とともによく使われると思われる seen となっているが、個人的にはやはり「お楽しみはこれからだ」という”定訳”も入れてほしかったので、そこがちょっと残念である。
英語史で解きほぐす英語の誤解―納得して英語を学ぶために (125ライブラリー)
- 作者: 堀田 隆一
- 出版社/メーカー: 中央大学出版部
- 発売日: 2011/10
- メディア: 単行本
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このセリフは、故レーガン元大統領も使っていたことで有名ですね。
by Kawada (2018-08-08 18:46)
今回の記事を書く際に "You ain't..." についてウェブのいくつかの記述を見たのですが、Kawadaさんがおっしゃるようにレーガンを例にあげているものがありました。それでさらに有名になったのでしょうね。
ただ私自身は、彼がこの言葉を使ったのを聞いたことがなく、記事が長くなるのを避けたいこともあって触れませんでした。
以前のエントリにも書きましたが、レーガンは私が大学生の時の大統領で、彼の発言やスピーチは英語学習の素材としてずいぶん利用しました。なので、今回の言葉も実際に聞いていたらきっと書いていただろうなと思います。
by tempus fugit (2018-08-10 21:21)