動詞 spare と芭蕉の「五月雨の降りのこしてや光堂」の英訳 [日本の文化]
アメリカ人翻訳家による芭蕉の俳句英訳書を読んでいたら、日本人にはわかりづらいと思われる動詞 spare を使って俳聖の名句が英語にされていたので、ちょっとメモしておきたい。
その句は、芭蕉が今の岩手県にある平泉の中尊寺金色堂を詠んだ「五月雨の降りのこしてや光堂」である。学校でも習った名句で、「おくのほそ道」に収められている。
spare は、辞書に「なしですませる」「取っておく」「与える」「割く」「倹約する」といった訳語が並んでいるが、わかったようなわからないような動詞だと感じる人がかなりいるのではないかと思う。
最近出版された、ピーター・J・マクミラン訳の「松尾芭蕉を旅する 英語で読む名句の世界」を読んでいたら、上記の句が、次のように翻訳されていた。
- All these years and rainy season,
was it only you that was spared,
Sacred Hall of Gold?
このブログでこれまでも何度か書いたことがあるように、私は「おくのほそ道」の英訳を複数持っている。しかし個々の句がどう英訳されているかを記憶しているほど読み込んでいないので、本棚から他の英訳本を引っ張り出してきた。
- Have the rains of spring
Spared you from their on-slaught,
Shining Hall of Gold?
(ドナルド・キーン Donald Keene 訳)
- The May rains, falling, seem to spare the Light Hall
(Hiroaki Sato 訳)
このように、他にも「降り残す」に spare を使っている訳があった(最初に読んだ時には目に留めていなかったことになるが)。日本文学の英訳を通じて、多少なりともこの動詞の使われ方への感度を上げることができたように思う(spare の使い方、という能動的な言い方は到底できるものではないのが残念だ)。
いつものように、英語圏の辞書の定義をあげようかとも思ったが、今回は、私が愛用している「スーパー・アンカー英和辞典」にある spare の説明を引用しよう。
- 「(相手に迷惑や危害を加えるのを)控える」が原義。これから「(命を)助ける」、労力などの使用を控えて「惜しむ」、控えて取っておいた時間や金を「融通する、分け与える」の意味に発展した。
なお、この句に spare を使っていない英訳もある。
- Even the long rain of May
Has left it untouched --
This Gold Chapel
Aglow in the sombre shade.
(Nobuyuki Yuasa 訳)
- Early summer rains
even a long time couldn't decay
the golden hall of Chuson-ji
(五島高資 訳)
これも以前ここで書いたことがあると思うが、俳句は、詠まれた事物の背景や日本文化についての理解、そして日本語の知識がないと、翻訳を読んだだけでは元の句が持つ味わいは残念ながらなかなか伝わらないだろうと思う。これと同じことが、日本人が英語などの外国語で書かれた韻文を読む場合についても言えるはずだ。
何年も前のことだが、平泉と中尊寺を訪れたことがある。ここで芭蕉はすでに五百年の時を経ていた奥州藤原氏の過去の栄華をしのび、「夏草や兵どもが夢のあと」(英訳は→こちら)や上記「五月雨の~」の句を詠んだ。
私が訪れたのは初夏のよく晴れた日で、たまたま観光客も少なく静かなひと時を過ごすことができた。藤原氏ゆかりの高館から眼下に広がる夏草や中尊寺の金色堂をこの目で見て、三百数十年前に芭蕉もここで同じ光景を目にしたのだと思うと、時の流れに吸い込まれていくような不思議な気持ちがしてきたのを今でも覚えている。
(芭蕉関係の過去の参考記事)
・英訳「奥の細道」を読む~月日は百代の過客
・芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の河」の英訳を比べる
・「夏草や兵どもが夢のあと」 (雑草と weed と grass の違い)
・「タイム」の誤報? ジェームズ・ボンドと芭蕉
・続・007と芭蕉 (「007は二度死ぬ」)
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その句は、芭蕉が今の岩手県にある平泉の中尊寺金色堂を詠んだ「五月雨の降りのこしてや光堂」である。学校でも習った名句で、「おくのほそ道」に収められている。
spare は、辞書に「なしですませる」「取っておく」「与える」「割く」「倹約する」といった訳語が並んでいるが、わかったようなわからないような動詞だと感じる人がかなりいるのではないかと思う。
最近出版された、ピーター・J・マクミラン訳の「松尾芭蕉を旅する 英語で読む名句の世界」を読んでいたら、上記の句が、次のように翻訳されていた。
- All these years and rainy season,
was it only you that was spared,
Sacred Hall of Gold?
このブログでこれまでも何度か書いたことがあるように、私は「おくのほそ道」の英訳を複数持っている。しかし個々の句がどう英訳されているかを記憶しているほど読み込んでいないので、本棚から他の英訳本を引っ張り出してきた。
- Have the rains of spring
Spared you from their on-slaught,
Shining Hall of Gold?
(ドナルド・キーン Donald Keene 訳)
- The May rains, falling, seem to spare the Light Hall
(Hiroaki Sato 訳)
このように、他にも「降り残す」に spare を使っている訳があった(最初に読んだ時には目に留めていなかったことになるが)。日本文学の英訳を通じて、多少なりともこの動詞の使われ方への感度を上げることができたように思う(spare の使い方、という能動的な言い方は到底できるものではないのが残念だ)。
いつものように、英語圏の辞書の定義をあげようかとも思ったが、今回は、私が愛用している「スーパー・アンカー英和辞典」にある spare の説明を引用しよう。
- 「(相手に迷惑や危害を加えるのを)控える」が原義。これから「(命を)助ける」、労力などの使用を控えて「惜しむ」、控えて取っておいた時間や金を「融通する、分け与える」の意味に発展した。
なお、この句に spare を使っていない英訳もある。
- Even the long rain of May
Has left it untouched --
This Gold Chapel
Aglow in the sombre shade.
(Nobuyuki Yuasa 訳)
- Early summer rains
even a long time couldn't decay
the golden hall of Chuson-ji
(五島高資 訳)
これも以前ここで書いたことがあると思うが、俳句は、詠まれた事物の背景や日本文化についての理解、そして日本語の知識がないと、翻訳を読んだだけでは元の句が持つ味わいは残念ながらなかなか伝わらないだろうと思う。これと同じことが、日本人が英語などの外国語で書かれた韻文を読む場合についても言えるはずだ。
何年も前のことだが、平泉と中尊寺を訪れたことがある。ここで芭蕉はすでに五百年の時を経ていた奥州藤原氏の過去の栄華をしのび、「夏草や兵どもが夢のあと」(英訳は→こちら)や上記「五月雨の~」の句を詠んだ。
私が訪れたのは初夏のよく晴れた日で、たまたま観光客も少なく静かなひと時を過ごすことができた。藤原氏ゆかりの高館から眼下に広がる夏草や中尊寺の金色堂をこの目で見て、三百数十年前に芭蕉もここで同じ光景を目にしたのだと思うと、時の流れに吸い込まれていくような不思議な気持ちがしてきたのを今でも覚えている。
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・「夏草や兵どもが夢のあと」 (雑草と weed と grass の違い)
・「タイム」の誤報? ジェームズ・ボンドと芭蕉
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