ちょっと気になった「思います」の連発 [日本語]
日本語では文の最後を「~と思います」といった言葉で締めることがよくある。使いすぎると、自信がない、あるいは確実でないという印象を与えかねないが、日本の言語あるいは文化の特徴だとすれば、一概に否定的にとらえるべきでもないだろう。しかし最近、これはどうも、と感じた例を立て続けに聞いた。
通勤途中で寄ったある店で商品を眺めていたら、近くのレジで客と店員が長いこと話をしている。聞くとはなしに聞いていると、その店の新しいポイントカードについての説明だった。最近は紙にスタンプを押すだけのポイントカードが減っているが、IT化でかえって利用法が複雑になったと感じることがある。その客もいろいろわからない点があるらしい。
聞いているうちに、店員の言葉が気になってきた。客への説明で「~と思います」を連発しているのだ。自分の店について、しかもカードの使い方という決まりごとである。「思う」も何もないはずなのだが。
実は、少し前に私自身も似たような体験をしていた。購入したIT機器についてわからない点があったのでサービスセンターに電話をした。珍しいことにすぐつながったが、相手がやはり「~と思います」をやたらとつけながら説明したのだ。いらいらしてきたので、「思う思う、っていうけど、その通りに動かないかもしれないということ?」と、つい声を荒げてしまった。「いや、そういうわけではないのですが…」という返事であった。
「~と思う」といった言葉で文を締めがちなのは、日本人の謙遜の美徳なのか、あるいは常に確かなもの、変わらないものなどありえないという人生観の反映なのか。また、最後に述語・動詞が来る日本語は、言い切りにすると調子が揃いがちなので、それを避けるため「思う」などをつけて変化をもたせる傾向が生まれたのかもしれない。
いずれにせよ、報告書などを別にすれば、不要で余計だからと「~と思う」といった言葉をすっぱり切ってしまうと、少なくとも私は居心地が悪い。やはり日本語や日本人の特質に関わることであり、理屈で割り切れるものではないと思う。
しかし、自分が他人に行うサービスについて「思う」を連発されると、やはり変な気分になる。たまたま私が続けて耳にしただけなのか、それともこうした言い方をする傾向が生まれてきているのか、いずれにしてもちょっと気になった出来事だった。
通勤途中で寄ったある店で商品を眺めていたら、近くのレジで客と店員が長いこと話をしている。聞くとはなしに聞いていると、その店の新しいポイントカードについての説明だった。最近は紙にスタンプを押すだけのポイントカードが減っているが、IT化でかえって利用法が複雑になったと感じることがある。その客もいろいろわからない点があるらしい。
聞いているうちに、店員の言葉が気になってきた。客への説明で「~と思います」を連発しているのだ。自分の店について、しかもカードの使い方という決まりごとである。「思う」も何もないはずなのだが。
実は、少し前に私自身も似たような体験をしていた。購入したIT機器についてわからない点があったのでサービスセンターに電話をした。珍しいことにすぐつながったが、相手がやはり「~と思います」をやたらとつけながら説明したのだ。いらいらしてきたので、「思う思う、っていうけど、その通りに動かないかもしれないということ?」と、つい声を荒げてしまった。「いや、そういうわけではないのですが…」という返事であった。
「~と思う」といった言葉で文を締めがちなのは、日本人の謙遜の美徳なのか、あるいは常に確かなもの、変わらないものなどありえないという人生観の反映なのか。また、最後に述語・動詞が来る日本語は、言い切りにすると調子が揃いがちなので、それを避けるため「思う」などをつけて変化をもたせる傾向が生まれたのかもしれない。
いずれにせよ、報告書などを別にすれば、不要で余計だからと「~と思う」といった言葉をすっぱり切ってしまうと、少なくとも私は居心地が悪い。やはり日本語や日本人の特質に関わることであり、理屈で割り切れるものではないと思う。
しかし、自分が他人に行うサービスについて「思う」を連発されると、やはり変な気分になる。たまたま私が続けて耳にしただけなのか、それともこうした言い方をする傾向が生まれてきているのか、いずれにしてもちょっと気になった出来事だった。
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先日あるソフトウェアの相談窓口に電話で相談したのですが、本人の意見は「思います」、伝聞は「聞いております」、事実は「です」ときれいに使い分けながら説明してくれたので、このひとは仕事のできるひとだなあと感心しました。
ブログを書くようになって気がついたのですが、わたしは「だろうと思う」と書くくせがあるようです。冗長なので「だろう」か「と思う」のどちらかだけにしようと気をつけてはいるのですが、それでもときどき「だろうと思う」と書いてしまいますね。
by たんご屋 (2007-11-30 10:13)
たんご屋 さん、コメントありがとうございました。おっしゃるような対応だとこちらも気持ちがいいですよね。
その一方で、私は「だろうと思う」はそんなに気にはなりません。この点では許容範囲が広いのだろうと思っていますが、その私でも「思う」の連発が気になったので、今回の駄文を書いてみた次第です。
by 子守男 (2007-12-01 02:48)
私も文章や受け答えの文末の語彙に乏しく、「と思います」「と思いました」の連発になりがちです。サポートするときについ使ってしまう理由としては「理論上・仕様上はそうなるはずだけど、実際に自分でやってみたわけではないから絶対にそうだとは言い切れない。もしそうじゃなかったときのために断言したくない。」という気持ちが働いている気がします。案外サービス提供側は利用者としての経験がないものですからね。でも利用者の声を多く聞くことによって、自分が未経験でも利用者の立場の経験を積み、発言が適切になってくるのではないでしょうか。だから私も看護師さんに「麻酔注射って痛いの?私したことないから」ときかれたときには、すごく痛かったことを説明してあげましたよ!
by ぐうたらぅ (2007-12-01 09:56)
ぐうたらぅさん、コメントありがとうございました。おしゃるような「サポート側の気持ち」、私もわかるような気がします。あとは実際に担当者がどう自分の言葉で対応するかということでしょうね。
ぐうたらぅさんのホームズの感想、斬新な着眼点が面白く、今後とも期待しております。
by 子守男 (2007-12-01 22:47)