英語の”ほめ殺し”と文末焦点 ~バイデン氏の記憶力をめぐって [文法・語法]
前回に続いて、アメリカの大統領にからんで箸休め的なことを書いてみたい。バイデン氏が副大統領だった時の機密文書が自宅から見つかった問題で、特別検察官は氏を訴追しないことを決めた。
その理由としてあげられたのが、「氏は記憶力が弱く、立証困難」というものだった。
以前から失言や記憶力について不安視されているバイデン氏とあって、日本のマスメディアもこの指摘を大きく扱っていた。
そしてロバート・ハー特別検察官の言葉を原語で読んでみたら、ずるいというか、意地悪というか、お見事というか、バイデン氏には失礼だが、思わず感心してしまった。
- In opting not to bring charges, Hur, who was appointed by former President Trump to serve as U.S. attorney for the District of Maryland in 2017, cited the shortage of evidence, but also how Biden would present himself to a jury.
“We have also considered that, at trial, Mr. Biden would likely present himself to a jury, as he did during our interview of him, as a sympathetic, well-meaning, elderly man with a poor memory,” Hur wrote.
("Special counsel describes Biden as ‘elderly man with a poor memory’ in eyebrow-raising report" The Hill, February 8, 2024)
sympathetic(思いやりがある)や well-meaning (善意の)といったほめ言葉を並べた後に、"with a poor memory" と加えている。
ここを「好意的かつ善意ある、記憶力の悪い高齢者」と平板に書いていた日本の記事もあったが、多少誇張して書けば、「思いやりと善意に満ちたお年寄り・・・しかし記憶力は危ない」と、持ち上げた後にストンと落とした感じではないだろうか。
私のこうした印象は、もちろん考えすぎかもしれない(またタイトルに”ほめ殺し”と書いたのは eye-catcher としてで、ちょっと意味は違うだろうが、お許し願いたい)。
ただ、上記の言い方を目にした時に頭に浮かんだのは、「文末焦点」と呼ばれる英語の特徴だった。
英語には、既出の情報から新しい情報へと話が展開・提示され、重要な要素はしばしば文末に置かれる傾向がある。「旧情報・新情報」「文末焦点」として説明されている。
少なくとも私が学校で学んでいた数十年前には教えられたことはない事項で、当時はたとえば、
- He gave a book to me.
- He game me a book.
を同じ意味だと習ったし、この2つの一方を他方に書き換える単純で機械的な練習をさせられたものだ。
しかし、実は2つの文は意味が違う。ひとつ目の文のキモは to me (本を与えた相手は「私」)、ふたつ目は a book (私にくれたのが何かといえば「本」)にあり、文末に置かれた要素に焦点が当てられている。
私がこの特徴をいつどのように知ったかは覚えていないが、目からウロコが落ちたような気持ちになったものだった。
ただ今回の特別検察官の表現が、どれだけ意図したレトリックなのか、また文末焦点の実例といえるのか、私にはわからない。しかし興味深い言い方に思えたのは確かだ。
ところで「文末焦点」と「新情報」といえば、見事な実例といってよさそうな作品がある。このブログで何度か取り上げている、アメリカの作家アイザック・アシモフの小説だ。
アシモフの代表作に、「ファウンデーション」あるいは「銀河帝国の興亡」という邦題のSF3部作があるが、最終巻の第3巻 Second Foundation では、最後の最後に意外な事実が明らかにされる。
そしてそれは原文で読んだほうが驚きが大きい。というのは、一番最後にある言葉によって、初めてその事実がわかる書き方になっているからだ。
翻訳で読んでも十分驚く内容にはなっているが、日本語の性質上、その意外な事実を示す言葉は、どうしても文末より少し前の文の途中に置かざるを得ない。
驚きの内容自体は翻訳ですでに知っていたものの、初めて原書で読んで最後の単語を目にした時、語順によってこんな効果を生むことができるのか、と一種の感動すら覚えたものだった。
バイデンやらSFやら、とりとめのない内容になったが、こうしたことを思い巡らすことができるのも、外国語を理解できる喜びのひとつではないかと思うしだいである。
最後にバイデン氏について話を戻すと、氏はその後の会見で記憶力の衰えとの指摘に反論しているが、一方でエジプトの大統領をメキシコと間違えるというミスをやらかした。
日本のメディアでは、エジプトとメキシコを言い間違えたと書いた(だけの)記事もあったが、これはガザ地区への人道支援でエジプトが国境を開けることと(エジプトとイスラエルは隣国同士)、アメリカと国境を接するメキシコからの不法移民の問題が、頭の中で交錯したのではないだろうか。
平たく言えば(一瞬であっても)「ごっちゃになった」、悪く言えば「区別がつかなくなった」ということで、もしそうならば、バイデン氏に対する不安は増すばかりといわざるを得ない気がする。
過去の参考記事:
・「ファウンデーション」(銀河帝国興亡史)
・By the Stars of the Galaxy
・「ギャラクティカ」ではなく「ガラクティカ」
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その理由としてあげられたのが、「氏は記憶力が弱く、立証困難」というものだった。
以前から失言や記憶力について不安視されているバイデン氏とあって、日本のマスメディアもこの指摘を大きく扱っていた。
そしてロバート・ハー特別検察官の言葉を原語で読んでみたら、ずるいというか、意地悪というか、お見事というか、バイデン氏には失礼だが、思わず感心してしまった。
- In opting not to bring charges, Hur, who was appointed by former President Trump to serve as U.S. attorney for the District of Maryland in 2017, cited the shortage of evidence, but also how Biden would present himself to a jury.
“We have also considered that, at trial, Mr. Biden would likely present himself to a jury, as he did during our interview of him, as a sympathetic, well-meaning, elderly man with a poor memory,” Hur wrote.
("Special counsel describes Biden as ‘elderly man with a poor memory’ in eyebrow-raising report" The Hill, February 8, 2024)
sympathetic(思いやりがある)や well-meaning (善意の)といったほめ言葉を並べた後に、"with a poor memory" と加えている。
ここを「好意的かつ善意ある、記憶力の悪い高齢者」と平板に書いていた日本の記事もあったが、多少誇張して書けば、「思いやりと善意に満ちたお年寄り・・・しかし記憶力は危ない」と、持ち上げた後にストンと落とした感じではないだろうか。
私のこうした印象は、もちろん考えすぎかもしれない(またタイトルに”ほめ殺し”と書いたのは eye-catcher としてで、ちょっと意味は違うだろうが、お許し願いたい)。
ただ、上記の言い方を目にした時に頭に浮かんだのは、「文末焦点」と呼ばれる英語の特徴だった。
英語には、既出の情報から新しい情報へと話が展開・提示され、重要な要素はしばしば文末に置かれる傾向がある。「旧情報・新情報」「文末焦点」として説明されている。
少なくとも私が学校で学んでいた数十年前には教えられたことはない事項で、当時はたとえば、
- He gave a book to me.
- He game me a book.
を同じ意味だと習ったし、この2つの一方を他方に書き換える単純で機械的な練習をさせられたものだ。
しかし、実は2つの文は意味が違う。ひとつ目の文のキモは to me (本を与えた相手は「私」)、ふたつ目は a book (私にくれたのが何かといえば「本」)にあり、文末に置かれた要素に焦点が当てられている。
私がこの特徴をいつどのように知ったかは覚えていないが、目からウロコが落ちたような気持ちになったものだった。
ただ今回の特別検察官の表現が、どれだけ意図したレトリックなのか、また文末焦点の実例といえるのか、私にはわからない。しかし興味深い言い方に思えたのは確かだ。
ところで「文末焦点」と「新情報」といえば、見事な実例といってよさそうな作品がある。このブログで何度か取り上げている、アメリカの作家アイザック・アシモフの小説だ。
アシモフの代表作に、「ファウンデーション」あるいは「銀河帝国の興亡」という邦題のSF3部作があるが、最終巻の第3巻 Second Foundation では、最後の最後に意外な事実が明らかにされる。
そしてそれは原文で読んだほうが驚きが大きい。というのは、一番最後にある言葉によって、初めてその事実がわかる書き方になっているからだ。
翻訳で読んでも十分驚く内容にはなっているが、日本語の性質上、その意外な事実を示す言葉は、どうしても文末より少し前の文の途中に置かざるを得ない。
驚きの内容自体は翻訳ですでに知っていたものの、初めて原書で読んで最後の単語を目にした時、語順によってこんな効果を生むことができるのか、と一種の感動すら覚えたものだった。
バイデンやらSFやら、とりとめのない内容になったが、こうしたことを思い巡らすことができるのも、外国語を理解できる喜びのひとつではないかと思うしだいである。
最後にバイデン氏について話を戻すと、氏はその後の会見で記憶力の衰えとの指摘に反論しているが、一方でエジプトの大統領をメキシコと間違えるというミスをやらかした。
日本のメディアでは、エジプトとメキシコを言い間違えたと書いた(だけの)記事もあったが、これはガザ地区への人道支援でエジプトが国境を開けることと(エジプトとイスラエルは隣国同士)、アメリカと国境を接するメキシコからの不法移民の問題が、頭の中で交錯したのではないだろうか。
平たく言えば(一瞬であっても)「ごっちゃになった」、悪く言えば「区別がつかなくなった」ということで、もしそうならば、バイデン氏に対する不安は増すばかりといわざるを得ない気がする。
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・「ファウンデーション」(銀河帝国興亡史)
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バイデン大統領についての例文が文末焦点かどうかわかりませんが、そのあとの文例の意味の違いはわかります。中学校か高校かでおそらく文型の違いを習ったときには意味の違いは教えてもらわなかった。おそらく、話し言葉では、意味の違いは抑揚、アクセントではっきり出る・出すのでしょう。文末焦点ということばも初めて知りました。ネットでググってみると沢山説明がでてきて、ホーと感心してしまいました。こりゃぁ学生が聞いたらさぞ面白ないやろなと思います。逆に、今だから言えるのですが、元来英文法が苦手な人間でも長く英語をやっていると自然とわかってくるものなのかと、ある種うれしい気持ちになりますね。今回の記事へのコメントを書くのに窮しておりましたが、読み直して理解できました。ありがとうございました。
by TM (2024-02-23 17:45)
「文末焦点」といった用語はさておき、もし授業でこうした内容を聞いていたら英文法がもっと面白くなったかもしれないのに、と私は逆に考えてしまいました。外国語へのアプローチや興味の持ち方は人によって違うことがありうるので、教える側は大変でしょうね。
by tempus_fugit (2024-03-03 21:47)