paint the lily 「余計なことをしてかえってアダになる」 [読書と英語]
何度かここで取り上げている連作推理短編集「黒後家蜘蛛の会」の原書から、今回は paint the lily という表現をメモしておきたい。
シリーズ第4巻に収録された The Driver に出てくるものだが、一部を切り取っただけの下記の引用部分を読んでも意味不明だろうから補足すると、無知無学のふりをしたアレックスという男を襲った事件を描いた作品だ。
こう書くことは事実上ネタバレになってしまうのだが、作者のアイザック・アシモフは「あとがき」の中で、この短編が雑誌からボツを食らったことを明かしているし、私も読んでいて「シリーズの中では出来が悪い作品だなあ」と感じたので、まあいいか、とさせていただこう。
- Henry said, "It is easy to pretend to be uneducated and simpleminded. If anything, Alex worked too hard at it. This business of mispronouncing names was rather a case of painting the lily, and in itself it aroused suspicion."
("The Driver" in "Banquets of the Black Widowers" by Isaac Asimov)
文字通りには「ユリの花に色を塗る」ことだが、そのままで美しいユリをことさら彩色すると、むしろ逆に不自然なものとなり、本来の良さをダメにしてしまう。
ということで、英和辞典を見ると「すでに完璧なものに余計な手を加える」「満足なものにむだな改良を加える」「蛇足を加える」といった訳語が載っている。
また、paint のかわりに gild を使って gild the lily 「ユリに金メッキをする」とする形もある。
私は、やたらとイディオムを収集してつぎつぎに紹介するのは控えるよう心がけているつもりだが、この表現を今回取り上げることにしたのは、シェイクスピアに由来するという辞書の記述が目にとまったからだ。シェイクスピアが聖書と並んで英語の表現に多大な寄与をしたことをあらためて思い知らされた。
「ジョン王」という、シェイクスピアにしては現在まず上演されることのない史劇に出てくるものだという。
ジョン王が2回めの戴冠式を行ったことについて、「やりすぎ」で「屋上屋を架す」ものだと批判する人物のセリフに出てくる。
- Therefore, to be possess'd with double pomp,
To guard a title that was rich before,
To gild refined gold, to paint the lily,
To throw a perfume on the violet,
(中略)
Is wasteful and ridiculous excess.
(King John by William Shakespeare)
壮麗な式典を2度も行う (double pomp) のは、「金にメッキ」「ユリに絵の具」「スミレに香水」・・・を施すに等しい「行き過ぎたムダな愚行」、というわけである。
さらに調べると、ジョン王は実在した人物(在位1199年 - 1216年)で、私のように英国史に詳しくない人にはなじみがないだろうが、「イングランド史上最悪の君主」といわれているそうで、酷さの点ではそれこそ屋上屋を架しても足らないほどの王様だったようだ。
日本語版「ウィキペディア」では、
- 無能・暴虐・陰謀好き・裏切り者・恥知らずと評され、大陸領土喪失・甥殺しによる信望の喪失・教皇への屈服とイングランドの寄進・重税・諸侯の反乱と失政が続き、唯一評価されるのは「強制されてマグナ・カルタを認めイギリスの民主主義の発展に貢献した」ことのみと、在位当時から後世の評価まで徹頭徹尾評判の悪い王である。
という書かれようで、「ジョンの評判が悪かったため、以降のイングランド王・イギリス王でこれを襲名したものはいない」という説があるほどだそうだ。
最後にアシモフの作品に戻ると、この表現が出てくる先の引用部分は、邦訳では次のようになっている。
- ヘンリーは言った。「無学文盲を装うのは容易なことでございます。いえ、その意味では、アレックスはいささか芝居が過ぎたようでございますね。人の名を誤って覚えるふりをいたしましたことなどは、かえって作為が目立ちまして、それこそ、頭を隠して尻を隠さぬ譬えでございます」
(「運転手」~「黒後家蜘蛛の会4」池央耿・訳)
「頭を隠して~」のところは原文からは生まれにくい訳だろうが、このあとの部分に Alex had given himself away(正体がバレた)というくだりがあり、翻訳ではここを「尻尾を出した」としている。
「尻尾」につながるようにするため、先行部分でわざと「尻隠さず」という言葉を使ったのではなかろうか。そうであれば、さすがプロの翻訳者ならではの技というべきだろう。
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シリーズ第4巻に収録された The Driver に出てくるものだが、一部を切り取っただけの下記の引用部分を読んでも意味不明だろうから補足すると、無知無学のふりをしたアレックスという男を襲った事件を描いた作品だ。
こう書くことは事実上ネタバレになってしまうのだが、作者のアイザック・アシモフは「あとがき」の中で、この短編が雑誌からボツを食らったことを明かしているし、私も読んでいて「シリーズの中では出来が悪い作品だなあ」と感じたので、まあいいか、とさせていただこう。
- Henry said, "It is easy to pretend to be uneducated and simpleminded. If anything, Alex worked too hard at it. This business of mispronouncing names was rather a case of painting the lily, and in itself it aroused suspicion."
("The Driver" in "Banquets of the Black Widowers" by Isaac Asimov)
文字通りには「ユリの花に色を塗る」ことだが、そのままで美しいユリをことさら彩色すると、むしろ逆に不自然なものとなり、本来の良さをダメにしてしまう。
ということで、英和辞典を見ると「すでに完璧なものに余計な手を加える」「満足なものにむだな改良を加える」「蛇足を加える」といった訳語が載っている。
また、paint のかわりに gild を使って gild the lily 「ユリに金メッキをする」とする形もある。
私は、やたらとイディオムを収集してつぎつぎに紹介するのは控えるよう心がけているつもりだが、この表現を今回取り上げることにしたのは、シェイクスピアに由来するという辞書の記述が目にとまったからだ。シェイクスピアが聖書と並んで英語の表現に多大な寄与をしたことをあらためて思い知らされた。
「ジョン王」という、シェイクスピアにしては現在まず上演されることのない史劇に出てくるものだという。
ジョン王が2回めの戴冠式を行ったことについて、「やりすぎ」で「屋上屋を架す」ものだと批判する人物のセリフに出てくる。
- Therefore, to be possess'd with double pomp,
To guard a title that was rich before,
To gild refined gold, to paint the lily,
To throw a perfume on the violet,
(中略)
Is wasteful and ridiculous excess.
(King John by William Shakespeare)
壮麗な式典を2度も行う (double pomp) のは、「金にメッキ」「ユリに絵の具」「スミレに香水」・・・を施すに等しい「行き過ぎたムダな愚行」、というわけである。
さらに調べると、ジョン王は実在した人物(在位1199年 - 1216年)で、私のように英国史に詳しくない人にはなじみがないだろうが、「イングランド史上最悪の君主」といわれているそうで、酷さの点ではそれこそ屋上屋を架しても足らないほどの王様だったようだ。
日本語版「ウィキペディア」では、
- 無能・暴虐・陰謀好き・裏切り者・恥知らずと評され、大陸領土喪失・甥殺しによる信望の喪失・教皇への屈服とイングランドの寄進・重税・諸侯の反乱と失政が続き、唯一評価されるのは「強制されてマグナ・カルタを認めイギリスの民主主義の発展に貢献した」ことのみと、在位当時から後世の評価まで徹頭徹尾評判の悪い王である。
という書かれようで、「ジョンの評判が悪かったため、以降のイングランド王・イギリス王でこれを襲名したものはいない」という説があるほどだそうだ。
最後にアシモフの作品に戻ると、この表現が出てくる先の引用部分は、邦訳では次のようになっている。
- ヘンリーは言った。「無学文盲を装うのは容易なことでございます。いえ、その意味では、アレックスはいささか芝居が過ぎたようでございますね。人の名を誤って覚えるふりをいたしましたことなどは、かえって作為が目立ちまして、それこそ、頭を隠して尻を隠さぬ譬えでございます」
(「運転手」~「黒後家蜘蛛の会4」池央耿・訳)
「頭を隠して~」のところは原文からは生まれにくい訳だろうが、このあとの部分に Alex had given himself away(正体がバレた)というくだりがあり、翻訳ではここを「尻尾を出した」としている。
「尻尾」につながるようにするため、先行部分でわざと「尻隠さず」という言葉を使ったのではなかろうか。そうであれば、さすがプロの翻訳者ならではの技というべきだろう。
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タグ:アイザック・アシモフ
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paint the lilyとは面白い表現ですね。イギリス系の辞書ではgild the lilyのみ見つかりました。それでもシェイクスピアまで遡る表現とは驚きです。King JohnはJohn Lacklandなどとあだ名されているとのこと。日本語訳ではジョン失地王という訳がありますね。イギリスの王様はXX何世とかが多いのと、あだ名が多いというのが私も苦手にしている理由かも知れません。
by TM (2023-12-28 22:05)
私も見た範囲の辞書ではイディオムとしては gild [or paint] the lily という形での見出しが多く、gild が優位らしいことに気づいたのですが、アシモフは paint を使っていて、また原典のシェイクスピアも paint(gild は refined gold との組み合わせ)ですね。
実はこの点もおもしろいなと思ったのですが、gild と lily の組み合わせが使われるようなった経緯などがわからなかったこともあり、本文では深入りしないで逃げをうちました。
by tempus_fugit (2023-12-29 20:43)