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「バッハの宮廷音楽」 [ジャズ・クラシック]

アンサンブル音楽の領域vol.3 バッハの宮廷音楽

アンサンブル音楽の領域vol.3 バッハの宮廷音楽

  • アーティスト: 武久源造,バッハ,砂山佳美,桐山建志,大西律子,西澤央子,上田美佐子,十代田光子,西澤誠治
  • 出版社/メーカー: ALM RECORDS
  • 発売日: 2009/01/07
  • メディア: CD


人気作の「ブランデンブルク協奏曲第5番」と「管弦楽組曲第2番」を一緒に収めているので、初めは「今どき珍しい、売れ筋狙いのCDか」としか思わなかった。しかしカプリングの「音楽の捧げ物」(一部)がフォルテピアノによる演奏とあったので、俄然興味がわき購入した。

バッハと鍵盤楽器といえば、オルガンかチェンバロと相場が決まっている感がある。しかし晩年には、考案されて間もないフォルテピアノ(今のピアノの前身)を試したと伝えられている。

最近は作曲当時の楽器と奏法による演奏が普通に行われていて、私はモーツァルトやベートーヴェンのピアノ作品をフォルテピアノで演奏したCDをいくつか聞き、ピアノとは違った音色に惹かれるものを感じていた。

バッハが「音楽の捧げ物」の主題をプロイセンのフリードリヒ大王の前で最初に弾いた時はフォルテピアノだったことがわかっているが、この作品のCDはチェンバロによる演奏ばかりが目につく。フォルテピアノを使った録音があることは知っているが、店頭ではなかなか見かけない。

そこで今回、このCDを見つけて興味を持ったわけである。「捧げ物」から、御前演奏での主題を含む「3声のリチェルカーレ」、そして「トリオ・ソナタ」が選ばれ、チェンバロ奏者の武久源造が全体の指揮とフォルテピアノの演奏を行っている。

聴いてみると、期待以上の満足感があった。「3声~」で独奏される鄙びたフォルテピアノの響きを聞いていると、「幽玄」という言葉が頭に浮かぶ。

これまで聴いてきたチェンバロだと、硬質で金属的な響きのためだろう、バッハが現世を超越した世界を描こうとしていたような印象を受けてきた。一方、フォルテピアノで聞く「リチェルカーレ」は、高みにありながらもまだ現世にいて、そこから彼方を仰ぎ見ている、といった想像が頭に浮かぶ。我ながらうまいたとえではないのが残念だが。

「捧げ物」を構成する別の曲「6声のリチェルカーレ」は、2段鍵盤を持つチェンバロでないと演奏できないのか、このCDには含まれていない。「6声~」の方が「3声~」よりも厳格精緻な印象を受けるで、「3声~」をフォルテピアノ、「6声~」をチェンバロ、と弾きわければ、先に書いた私の印象に楽器と曲が合致するように思う。ぜひそうした形で全曲を聞いてみたいものだ。

いくつかの楽器で演奏される「トリオ・ソナタ」では、フラウト・トラヴェルソ(フルートの前身)の柔らかい音色にも、フォルテピアノはぴったりだ。演奏を聴いていたら、「音楽の捧げ物」のCDにもよく使われる、フルートを演奏するフリードリヒ大王を描いたメンツェル Adolph von Menzel の絵画が頭に浮かんだ。この曲の演奏風景を描いたものではないが、画が醸し出す雰囲気は、チェンバロよりもピアノフォルテの方がふさわしいように思えてくる。

A Flute Concert of Frederick the Great.jpg

 

また、これまでさんざん聞いてきた有名曲「ブランデンブルク」と「管弦楽組曲」も愉しめる演奏だった。少人数の演奏で、各奏者の自発性も高いという印象である。また、マイクのセッティングもあるのだろう、低音部の弦が大きめに録れていて、音響的にも面白かった。一方、この2曲でも活躍するフラウト・トラヴェルソは、もう少しくっきり、前に出た音で聞きたいと思ったが、そうするとバランスが悪くなるのだろうか。

さて、最初は「売れ線狙い」かと思った選曲だが、解説書で武久氏は、

 本CDは、前半と後半で、まったく違う世界を聴くことができる。同じバッハの、宮廷音楽でありながら、光と影、外向と内向、長調と短調、シャープ系とフラット系…と全てが対照的である。

と意図を説明している。さらに氏は「音楽の捧げ物」について、フリードリヒ大王への単純な献呈ではなく、その裏にあったかもしれないバッハの企てや当時のヨーロッパの政治状況からの影響を、音楽とからめて想像している。ここで詳しくは書けないが、立証は不可能としても、「なるほど、そうだったかもしれない」と思わせる内容である。

そして氏は、

 リチェルカーレもトリオ・ソナタも、ハ短調という調性の性格も手伝って、「宮廷音楽」の内向的な一面、いわば暗い部分をよく表している。当時のフラウト・トラヴェルソでは特に、この調性を吹くのが大変困難であった。明るい響きは、出そうとしても出せないのである。
 わたしくには、この音楽は、日本の茶室の雰囲気をなんとなく想起させる。ご案内の通り、戦国時代末期の茶道は大名たちの表の社交の手段であったが、同時に、裏取引を演出する場ともなっていた。つまりは、陰陽両方の顔を持っていたわけである。これと同じように、バロック時代の宮廷音楽には、光と闇、美酒と毒薬がない混ざっていたのである。


と結んでいる。こうした、日本人の感性でとらえ直した作品分析は刺激的であり、日本人が西洋芸術に取り組む意味のひとつでもあるように思った。いずれにせよ、武久氏にはぜひ「音楽の捧げ物」の全曲を録音してほしいものである。


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