軽い t の発音とスティーリー・ダンの「ペグ」(ウォルター・ベッカー死去) [音楽と英語]
新聞を開いたら、ウォルター・ベッカー死去の記事が目に飛び込んできて驚いた。まだ67歳。数々の名曲を生み出した「スティーリー・ダン」のメンバーだが、もうひとりのドナルド・フェイゲンとの2人だけのユニットなので、グループは事実上消滅したことになるのだろうか。
私が Steely Dan を知ったきっかけははっきりと覚えている。今はなきラジオ講座「百万人の英語」の洋楽コーナーで、発売されたばかりの曲 Peg が取り上げられたのだ。ちなみに講師は、当時数少ない日本人の英語DJとして活躍していた小林克也氏だった。もう40年も前のことになる。
「ペグ」は4分程度と短いが大変印象的で、一聴して大好きになった。高校生だった私にとって、ノリの良さとともに大人っぽさも感じさせ(今ふうにいえば「おしゃれ」となるだろうか)、とにかくカッコ良かった。cool も hot も「カッコいい」と訳せるだろうが、そのサウンドはまさに「クール」だった。
そして英語に興味を持つようになっていた私にとって、単語がいくつかはっきりと聞き取れるのがうれしかった。ポップスはどれも何と歌っているのかわからないことが多いが、Peg の歌詞は平易な言葉が多いのも幸いしたのだろう。
発音で特に印象的だったのが、"I know I'll love you better." というくだりに出てくる better だった。アメリカ英語では子音の t がラ行の音のように聞こえる形で発音されることがあるのはすでに知っていて、私も一所懸命マネしていたが、Donald Fagen のボーカルはみごとに「ベラ」と聞こえる。
軽く発音される /t/ については以前このブログで取り上げたことがあり(→こちら)、その時も書いたように、こう発音することをフラップ flap と呼ぶ。「はじく」ということだから、単に日本語のラ行で代用したのではダメなはずだ。
私はのちにイギリスのBBCラジオをよく聞くようになり(当時BBCテレビを見る方法はなかった)、会社に入ってからは一時期イギリス英語を話す途上国の人と仕事でいっしょになったこともあってか、だんだんとアメリカ英語まる出しの音をむしろ「キタナイ」と思うようになったが、Peg の「ベラァ」 は若い時の懐かしさもあって、つい許してしまうのである。
ところで「ペグ」の歌詞は謎めいている。中学生レベルの単語が多く使われていることもあってか、一見したところ難しくはない。主人公の "I" は、昔つきあっていた Peg が念願の映画デビューすることを知り、手元にある彼女の写真や手紙を見ながら喜んでいる歌のように思える。
ところが詞をじっくり読み返すと、いろいろひっかかりを感じる。"This is your big debut. It's like a dream come true." という部分があるが、big debut であるなら、なぜ like ~と言う必要があるのか。また唐突に "It will come back to you." と歌われるが、it は何を指していて、それが come back するとはどういう意味なのか、などなど。
そしてネット時代になって、ネイティブスピーカーのファンの間でも、この歌の解釈をめぐってさまざまな議論が行われていることを知った。「女優になることを夢見て去った元カノがチャンスをつかんだことを知り、甘酸っぱさと苦さとともに過去を思い出しつつ、遠くから応援しているラブソング」にしてはどうもヘンだ、というのだ。
たとえば、彼女がようやく出演できたのは手放しでは喜べない映画、はっきり言えばポルノで、it will come back to you は「出演したことが後にあだになる、後悔することになる」という意味だ、とする解釈(素直な解釈では、「2人がつき合っていた時の楽しい思い出が戻ってくる」とするのが有力らしい)。
ちなみになぜポルノかといえば、"Done up in blueprint blue" というくだりにある blue が「青(色の服)」のほかに、「エロ映画」(日本語ならブルーならぬピンク映画)の意味に取れるからだ。
また、"I" とは元カレではなくポルノ映画の製作者で、「ポルノと知って出演を渋る女優志望者を言葉たくみに説得しようとしている歌」という説もあった。「いくら何でも」と思ったが、それに沿って歌詞を読み直すと、驚いたことがこれがピッタリとはまり、ひっかかりはすべて解消するのである。
そのほか、デビュー作の公開を前に自殺した Peg Entwistle という20世紀初めの実在の女優から題材を取ったという見方もある。そうであれば、明るい曲想とはうらはらに、何とも暗い背景を持った歌だということになる。
スティーリー・ダンの2人が歌詞について説明しているのかどうか、私は知らない。しかし仮にそうだとしても、文学作品などと同じで、世に出てしまえば解釈は受け取る人の自由だとも言えるだろう。そうした余地があるところもこの作品の魅力を深めているのだろうが、単純に聴くだけでも楽しめる、そんな名曲が Peg である。
Steely Dan はこの曲のように磨かれたサウンドと不思議な歌詞を持つ作品の数々を発表し、高い評価を受けていたが、Walter Becker の死で活動に終止符が打たれることになるのだろう。長らく新作を発表していないとはいえ、やはり残念だ。
今夜はやはり、「ペグ」を収めたアルバム「エイジャ」 Aja と、もうひとりのメンバーであるドナルド・フェイゲンのこれまた名作アルバム「ナイトフライ」 The Nightfly を聴くことにしよう。
ついでだが、以下は小林克也氏のみごとな英語DJが聞ける、山下達郎の作品のコンピレーション・アルバムである。
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私が Steely Dan を知ったきっかけははっきりと覚えている。今はなきラジオ講座「百万人の英語」の洋楽コーナーで、発売されたばかりの曲 Peg が取り上げられたのだ。ちなみに講師は、当時数少ない日本人の英語DJとして活躍していた小林克也氏だった。もう40年も前のことになる。
「ペグ」は4分程度と短いが大変印象的で、一聴して大好きになった。高校生だった私にとって、ノリの良さとともに大人っぽさも感じさせ(今ふうにいえば「おしゃれ」となるだろうか)、とにかくカッコ良かった。cool も hot も「カッコいい」と訳せるだろうが、そのサウンドはまさに「クール」だった。
そして英語に興味を持つようになっていた私にとって、単語がいくつかはっきりと聞き取れるのがうれしかった。ポップスはどれも何と歌っているのかわからないことが多いが、Peg の歌詞は平易な言葉が多いのも幸いしたのだろう。
発音で特に印象的だったのが、"I know I'll love you better." というくだりに出てくる better だった。アメリカ英語では子音の t がラ行の音のように聞こえる形で発音されることがあるのはすでに知っていて、私も一所懸命マネしていたが、Donald Fagen のボーカルはみごとに「ベラ」と聞こえる。
軽く発音される /t/ については以前このブログで取り上げたことがあり(→こちら)、その時も書いたように、こう発音することをフラップ flap と呼ぶ。「はじく」ということだから、単に日本語のラ行で代用したのではダメなはずだ。
私はのちにイギリスのBBCラジオをよく聞くようになり(当時BBCテレビを見る方法はなかった)、会社に入ってからは一時期イギリス英語を話す途上国の人と仕事でいっしょになったこともあってか、だんだんとアメリカ英語まる出しの音をむしろ「キタナイ」と思うようになったが、Peg の「ベラァ」 は若い時の懐かしさもあって、つい許してしまうのである。
ところで「ペグ」の歌詞は謎めいている。中学生レベルの単語が多く使われていることもあってか、一見したところ難しくはない。主人公の "I" は、昔つきあっていた Peg が念願の映画デビューすることを知り、手元にある彼女の写真や手紙を見ながら喜んでいる歌のように思える。
ところが詞をじっくり読み返すと、いろいろひっかかりを感じる。"This is your big debut. It's like a dream come true." という部分があるが、big debut であるなら、なぜ like ~と言う必要があるのか。また唐突に "It will come back to you." と歌われるが、it は何を指していて、それが come back するとはどういう意味なのか、などなど。
そしてネット時代になって、ネイティブスピーカーのファンの間でも、この歌の解釈をめぐってさまざまな議論が行われていることを知った。「女優になることを夢見て去った元カノがチャンスをつかんだことを知り、甘酸っぱさと苦さとともに過去を思い出しつつ、遠くから応援しているラブソング」にしてはどうもヘンだ、というのだ。
たとえば、彼女がようやく出演できたのは手放しでは喜べない映画、はっきり言えばポルノで、it will come back to you は「出演したことが後にあだになる、後悔することになる」という意味だ、とする解釈(素直な解釈では、「2人がつき合っていた時の楽しい思い出が戻ってくる」とするのが有力らしい)。
ちなみになぜポルノかといえば、"Done up in blueprint blue" というくだりにある blue が「青(色の服)」のほかに、「エロ映画」(日本語ならブルーならぬピンク映画)の意味に取れるからだ。
また、"I" とは元カレではなくポルノ映画の製作者で、「ポルノと知って出演を渋る女優志望者を言葉たくみに説得しようとしている歌」という説もあった。「いくら何でも」と思ったが、それに沿って歌詞を読み直すと、驚いたことがこれがピッタリとはまり、ひっかかりはすべて解消するのである。
そのほか、デビュー作の公開を前に自殺した Peg Entwistle という20世紀初めの実在の女優から題材を取ったという見方もある。そうであれば、明るい曲想とはうらはらに、何とも暗い背景を持った歌だということになる。
スティーリー・ダンの2人が歌詞について説明しているのかどうか、私は知らない。しかし仮にそうだとしても、文学作品などと同じで、世に出てしまえば解釈は受け取る人の自由だとも言えるだろう。そうした余地があるところもこの作品の魅力を深めているのだろうが、単純に聴くだけでも楽しめる、そんな名曲が Peg である。
Steely Dan はこの曲のように磨かれたサウンドと不思議な歌詞を持つ作品の数々を発表し、高い評価を受けていたが、Walter Becker の死で活動に終止符が打たれることになるのだろう。長らく新作を発表していないとはいえ、やはり残念だ。
今夜はやはり、「ペグ」を収めたアルバム「エイジャ」 Aja と、もうひとりのメンバーであるドナルド・フェイゲンのこれまた名作アルバム「ナイトフライ」 The Nightfly を聴くことにしよう。
ついでだが、以下は小林克也氏のみごとな英語DJが聞ける、山下達郎の作品のコンピレーション・アルバムである。
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