気になる安倍総理のカタカナ語 [日本語]
先日の安倍総理の就任会見について、ある全国紙にちょっと面白い記事が載っていた。26分間の会見の中で、安倍さんは「しっかりと」、および「~と思います」を、それぞれ三十数回口にしたそうだ。
「初会見で緊張していた」という見方がある一方、「自信のなさの表れでは」という専門家の分析もある、とあった。また、「しっかりと」で強調した決意を「思います」と締めると、弱まった印象を与えるということだ。
続いて行われた所信表明演説をテレビで聞いて、また全文をネット上で読んでみて、今度はカタカナ語の多さが気になった。そう感じたのは私だけではないようで、ある新聞記事によると、あわせて109語のカタカナ語を使っていたという。
もちろん、広く一般に使われている言葉もあったが、一方で「何だこれは?」と思ったものもある。例えば、「アジア・ゲートウェイ構想」「子育てフレンドリー」「カントリー・アイデンティティ」「イノベーション25」「人生のリスクに対するセーフティネット」など。
お役所の文書などにカタカナ語が多いと指摘されて久しいが、この演説も、まるでそうした文書のようだ。官僚支配を排するため独自の補佐官制度を設けた安倍総理だが、日本語に対する意識、心配りという点では、官僚と大差ないのだろうか。
安倍さんは、教育問題に力を入れると演説で訴えたが、カタカナ語使用の現状やあるべき形についてどう考えているのか、尋ねてみたい気にもなる。意味のわかりにくいカタカナ語を多用することが、日本語の面で「美しい国」の実現につながるとは、ちょっと考えにくいように思うのだが。
カタカナ語以外でも、「筋肉質の政府」「人生二毛作」など、作った側はうまいキャッチフレーズのつもりなのだろうが、聞いたほうは「何のことだ?」と思う人が多いのではないか。
ちなみに「筋肉質の政府」は、官邸のサイトに載っている英訳では a simple yet efficient lean government と意味をくんだ訳になっていた。財政再建のくだりで使われていたので誤解は少ないだろうが、文脈なしに muscular や muscle を使って直訳すると、もしかしたら誤解を招きかねないようにも思う。muscle には「力ずく」というようなニュアンスもある。
安倍さんはやや早口のうえ、発話の歯切れ、滑舌が今ひとつという感じがする。雄弁家タイプではなく、はったりをかますタイプにも見えないので、むしろ、わかりやすく具体的な言葉を使ったほうが、イメージ戦略として得をするように思う。カタカナ語やキャッチフレーズの多用は、具体的な内容がないという印象を与えてしまい損ではないか。いやそれとも、印象ではなくて、それが実情なのだろうか。
もうひとつ、就任後も安倍さんは「美しい国 日本」を繰り返し使っている(英文記事は a beautiful Japan と不定冠詞をつけている。英文法の本に説明がある通りだ)。多分に情緒的で、これだけでは何のことかよくわからず、まして英訳では、と思ってしまう。いずれにせよ、あくまで安倍さんが考える、一定の方向性を持った「美しい国」であることは確かだろう。
こうしたあいまいなキャッチフレーズは、小泉流の soundbite、ワンフレーズ式表現とは一見違うようでいて、その実、「郵政改革 Yes か No か」と迫った小泉氏の二者択一論法と通じるものがあるようにも感じる。そしてそれは、小泉さんのような具体的な政策ではなく、価値観の選択を迫るものでもある。
こちらが関心がなくても、向こうからこちらに入ってくるのが政治であり、イメージだけにとらわれず、こちらも「しっかりと」しなくては、と思った次第である。
安倍総理の所信表明演説はこちらで読める。
http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/29syosin.html
その英訳はこちら。
http://www.kantei.go.jp/foreign/abespeech/2006/09/29speech_e.html
ついでにもうひとつ、今回の演説では、アインシュタインが1922年に来日した時に日本と日本人について残した言葉を引用している。「美しい国 日本」の説明としてふさわしい逸話として側近が見つけた複数の候補から、総理本人が選んだという。カタカナ語の多用と同様、保守政治家という割には外国人頼みというのが面白い。
そのアインシュタインの言葉は、英訳が
http://www.aapps.org/archive/bulletin/vol15/vol15.html の Vol. 15 No. 2 April 2005 に掲載されていた。
「初会見で緊張していた」という見方がある一方、「自信のなさの表れでは」という専門家の分析もある、とあった。また、「しっかりと」で強調した決意を「思います」と締めると、弱まった印象を与えるということだ。
続いて行われた所信表明演説をテレビで聞いて、また全文をネット上で読んでみて、今度はカタカナ語の多さが気になった。そう感じたのは私だけではないようで、ある新聞記事によると、あわせて109語のカタカナ語を使っていたという。
もちろん、広く一般に使われている言葉もあったが、一方で「何だこれは?」と思ったものもある。例えば、「アジア・ゲートウェイ構想」「子育てフレンドリー」「カントリー・アイデンティティ」「イノベーション25」「人生のリスクに対するセーフティネット」など。
お役所の文書などにカタカナ語が多いと指摘されて久しいが、この演説も、まるでそうした文書のようだ。官僚支配を排するため独自の補佐官制度を設けた安倍総理だが、日本語に対する意識、心配りという点では、官僚と大差ないのだろうか。
安倍さんは、教育問題に力を入れると演説で訴えたが、カタカナ語使用の現状やあるべき形についてどう考えているのか、尋ねてみたい気にもなる。意味のわかりにくいカタカナ語を多用することが、日本語の面で「美しい国」の実現につながるとは、ちょっと考えにくいように思うのだが。
カタカナ語以外でも、「筋肉質の政府」「人生二毛作」など、作った側はうまいキャッチフレーズのつもりなのだろうが、聞いたほうは「何のことだ?」と思う人が多いのではないか。
ちなみに「筋肉質の政府」は、官邸のサイトに載っている英訳では a simple yet efficient lean government と意味をくんだ訳になっていた。財政再建のくだりで使われていたので誤解は少ないだろうが、文脈なしに muscular や muscle を使って直訳すると、もしかしたら誤解を招きかねないようにも思う。muscle には「力ずく」というようなニュアンスもある。
安倍さんはやや早口のうえ、発話の歯切れ、滑舌が今ひとつという感じがする。雄弁家タイプではなく、はったりをかますタイプにも見えないので、むしろ、わかりやすく具体的な言葉を使ったほうが、イメージ戦略として得をするように思う。カタカナ語やキャッチフレーズの多用は、具体的な内容がないという印象を与えてしまい損ではないか。いやそれとも、印象ではなくて、それが実情なのだろうか。
もうひとつ、就任後も安倍さんは「美しい国 日本」を繰り返し使っている(英文記事は a beautiful Japan と不定冠詞をつけている。英文法の本に説明がある通りだ)。多分に情緒的で、これだけでは何のことかよくわからず、まして英訳では、と思ってしまう。いずれにせよ、あくまで安倍さんが考える、一定の方向性を持った「美しい国」であることは確かだろう。
こうしたあいまいなキャッチフレーズは、小泉流の soundbite、ワンフレーズ式表現とは一見違うようでいて、その実、「郵政改革 Yes か No か」と迫った小泉氏の二者択一論法と通じるものがあるようにも感じる。そしてそれは、小泉さんのような具体的な政策ではなく、価値観の選択を迫るものでもある。
こちらが関心がなくても、向こうからこちらに入ってくるのが政治であり、イメージだけにとらわれず、こちらも「しっかりと」しなくては、と思った次第である。
安倍総理の所信表明演説はこちらで読める。
http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/29syosin.html
その英訳はこちら。
http://www.kantei.go.jp/foreign/abespeech/2006/09/29speech_e.html
ついでにもうひとつ、今回の演説では、アインシュタインが1922年に来日した時に日本と日本人について残した言葉を引用している。「美しい国 日本」の説明としてふさわしい逸話として側近が見つけた複数の候補から、総理本人が選んだという。カタカナ語の多用と同様、保守政治家という割には外国人頼みというのが面白い。
そのアインシュタインの言葉は、英訳が
http://www.aapps.org/archive/bulletin/vol15/vol15.html の Vol. 15 No. 2 April 2005 に掲載されていた。
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