SSブログ

英語の先生の思い出(「英語の授業は英語で」その4) [英語学習]

「高校では英語の授業を英語で行う」という新学習指導要領について続ける。ある教科に興味がわくかどうかは、習った教師に影響を受けることがかなりあると思うが、その点で、私は高校の時に教わったある英語の先生にいまでも感謝している。

先生はふだんから大量の英文を読んでいて、職員室の机には英語の本が積み上げられていた。そして、英語や内容の面で役立つと考えた文章を書き抜いてプリントを作り(PCがない時代なのでタイプライターだった)、生徒に配っていた。高校生にとっては難しかったが、どれも教科書以上に面白いものばかりだった。

授業では、そうした英文を頭から順に読み下し、まとまったかたまりに区切りながら構造や意味を説明していった。それまで英語の時間といえば、文の中を行きつ戻りつして解釈し和訳する授業ばかりだったので、私には面白かった。ずっと後になって、「サイト・トランスレーション」と呼ばれる通訳養成の手法を知ったが、あの先生の教え方と共通点があると感じた。

その先生はまた、「日本語をしっかり学べ」と言っていた。日本に生まれ育った以上、母語は日本語であり、母語を大切にしなければ高度な思考もできないし、外国語がわかるようにもなれない。そうしたことを英語の先生に力説されるのは新鮮だった。

その一方で先生は、生徒に必ずしも流麗な訳は求めなかった。それは、まず英語を正確に理解できるようになることが授業の第一の目的であり、訳を磨くという、いわば翻訳ともいうべき作業はその先の段階だと考えていたのではないかと想像している。

私たち生徒は、「できる先生」、と同時に「難度の高い先生」、という見方で一致していた。ただ、実際に英語をどのくらい使いこなせるのかはわからなかった。授業は日本語だったし、発音は歯切れはいいものの、ネイティブのようではなかった。

ある日、先生は来日して間もないというアメリカ人を教室に連れてきた。何についての話だったかは覚えていないが、その時間は、そのゲストとの会話は当然として、生徒に対しても、多少の説明を除いてほとんど英語で通した。

今思うと、異なった言葉を母語とする人を蚊帳の外に置かないよう、その場にいる皆が理解できる言語を使うという国際的なエチケットに従ったのかもしれない。それはともかく、初めて見る先生のそうした姿は驚きであった。

授業では、いわゆる「実用英語」の必要性をとりたてて説いたことは一度もない先生が、口を開いたら実に見事な英語を話していた。そして、先生はいつもの日本人らしい仕草・言動のまま、ごく自然な態度で英語を使っていた。

私にはそれが「カッコいい」ものに映った。日本語の本と同じように日常的にペーパーバックや英字新聞に目を通し、別に「これからは英会話が必要」などと声高に授業で説いているわけではないのに、実際にはさらりと自然に英語を話すことができる。また、英語を学ぶために日本語を排除するのではなく、逆に日本語をしっかり学べという。

日本人として「英語ができる」とはこういうことではないか、そして、私もあのように英語を身につけたいものだ。そんな風に思った。

先日、「教師は生徒の role model を目指すべき」と書いたが、その先生は私にとって英語を学ぶ上でひとつの模範・目標となった。それは、当時の私にとって遥かに高いレベルの英語力ではあったが、努力すれば自分もそこに到達できるのではないか、と思わせる点で、テレビやラジオの語学講座に出演している、手の届かない英語の達人とは違った現実味のあるものだった。

その先生と教え方が英語教師のあるべき姿だ、と一般化したいわけではない。しかし、手本となる教師の存在が大切になりうるか、という実例のひとつとして、私自身の高校時代の思い出を振り返ってみた次第である。

それにしても、あれからおよそ三十年、私は先生のレベルに多少なりとも近づくことができただろうか。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

にほんブログ村 英語ブログへ
にほんブログ村← 参加中です
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...