「三陸海岸大津波」(吉村昭) [読んだ本]
何か大きな出来事があった場合、以前なら、なるべく関連の英文記事を読むなどしてそれについて書くようにしていた。地震でいえば、数年前にそうした記事をアップしたこともあった。しかし今回の大震災ではなかなかそうする気になれない。
震災のため勤め先でもいろいろな事案が出てきて忙しくしていることもあるが、やはり、大津波の衝撃的な映像を見て、自然の猛威とそれに対する無力さを感じていることが大きい。被災した三陸海岸には、私もかつて訪れた場所がいくつかある。
それに加えて、最近は英語ニュースに触れても、そこで見つけた新しい単語や表現に対する積極的な関心が薄れてきていることがある。英語についてここで駄文を書き始めた5年前にはなかったことである。
活字にせよ放送にせよ、ニュース記事は所詮その場限りのものだ。その時に情報や内容、意味が取れればそれでいい。英語を味わうのであったら、やはりまとまった内容を持ち、ある程度版を重ね読み継がれているものを読みたい。日本語の読書を含めて、最近はそんな気持ちが強くなってきている。齢50に近づいてきたためか、自分の時間の有限性を意識するようになってきたのかもしれない。
前置きが長くなったが、そんなこともあり、今回はニュース記事ではなく、「三陸海岸大津波」という本を紹介したい。著者の吉村昭は私が好きな歴史作家の一人で、数年前に亡くなった時に取り上げたこともある。
三陸海岸は、これまで何度も津波に襲われて大打撃を受け、そのたびに復興してきた。40年ほど前に出版されたこの本は、明治と昭和にこの地域を襲った津波について、体験者の証言を中心に記述したものである。今回の大震災が起きた後に再読した。
最初に読んだのがいつだったか覚えていないが、淡々とした記述だからこそかえって強い印象を残す、吉村昭の特徴がこの作品にも現れている。もともとの題は「海の壁」だったというが、浜辺や海水浴場で見るのとは全く違う、「壁」となった波の恐ろしさと凄まじさが伝わってくる。
ただ、作品の最後で、著者が将来の津波被害や対策の効果についてかなり楽観的な見方が示しているのは(今回の大災害を受けての結果論になってしまうが)いま読むと気になる点である。著者が三陸沿岸を愛していたが故に、その眼が曇らされていたのでは、とも思ってしまった。
ネタバレになるが、作品の終わりの部分で、度重なる津波で甚大な被害を受けた岩手県の町が、大規模な防潮堤を建設したこと、それがその後の津波で効果をあげたことが紹介されている。そして、「頑丈な防潮堤は、大津波がそれを乗り越えた場合でも、津波の力を損耗させることは確かで、それだけでも被害はかなり軽減されるに違いない」という内容のことを書いている。
さらに、『津波は今後も襲ってくるが、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う』という津波体験者の言葉を紹介した上で、「この言葉は、すさまじい幾つかの津波を体験してきた人のものだけに重みがある」と書いている。吉村昭にしては、かなりはっきりと自分の見方を示しているといえるように思う。
しかし今回の大津波は、この防潮堤を乗り越えただけでなく、街に壊滅的な被害をもたらした。防潮堤は確かに津波の力をいくばくか削いだことだろうが、効果があったというにはあまりに悲惨な被害である。下記の記事のように、「これほどの防潮堤でも甚大な被害を防げなかった」と衝撃を与えたことも報道されている。大津波の破壊力を「海の壁」とまで表現した著者が生きていたら、どう思ったことだろうか。
http://www.asahi.com/national/update/0319/TKY201103190440.html
また、この作品で描かれた過去の津波で被害を受けなかった地域では、「あの時も津波はここまで届かなかったのだから」と今回避難をせず、命を落とした人たちがいるということも伝えられている。
http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201103/h1103204.html
過去の津波の記憶や、それに基づく対策が、かえってある種の安心感や油断を与えていたのでは、と言ったら犠牲者に失礼になるだろう。今回の地震と津波の規模は、千年に1回という人もいるほど桁外れなものだったのだから。そして3月11日が、不幸にしてその日になってしまった。
今回の大震災を受けての不公平な印象も書いたが、それでもこの作品は、執筆当時存命していた大津波の体験者からたんねんに話を聞き、恐るべき自然災害を再構成した、見事な記録文学だと思うことに変わりはない。ここに描かれた津波から復興したように、三陸沿岸が今度も立ち直ることを願いたい。
最後に、英語にからんだ余談を書くと、tidal wave として覚えていた「津波」の英訳について、この本を読んだあと、「この英語では実態が伝わらないのではないか」と思うようになったと記憶している。seismic sea wave とか earthquake wave という英訳を与えている辞書もあり、tidal wave よりふさわしいのではないかと思う。数年前のインド洋大津波の時は、英語メディアも tsunami と日本語のままで使っていた。
過去の参考記事:
「震源」と「震源地」はどう違うのか
語学に打ち込んだ江戸の先人
震災のため勤め先でもいろいろな事案が出てきて忙しくしていることもあるが、やはり、大津波の衝撃的な映像を見て、自然の猛威とそれに対する無力さを感じていることが大きい。被災した三陸海岸には、私もかつて訪れた場所がいくつかある。
それに加えて、最近は英語ニュースに触れても、そこで見つけた新しい単語や表現に対する積極的な関心が薄れてきていることがある。英語についてここで駄文を書き始めた5年前にはなかったことである。
活字にせよ放送にせよ、ニュース記事は所詮その場限りのものだ。その時に情報や内容、意味が取れればそれでいい。英語を味わうのであったら、やはりまとまった内容を持ち、ある程度版を重ね読み継がれているものを読みたい。日本語の読書を含めて、最近はそんな気持ちが強くなってきている。齢50に近づいてきたためか、自分の時間の有限性を意識するようになってきたのかもしれない。
前置きが長くなったが、そんなこともあり、今回はニュース記事ではなく、「三陸海岸大津波」という本を紹介したい。著者の吉村昭は私が好きな歴史作家の一人で、数年前に亡くなった時に取り上げたこともある。
三陸海岸は、これまで何度も津波に襲われて大打撃を受け、そのたびに復興してきた。40年ほど前に出版されたこの本は、明治と昭和にこの地域を襲った津波について、体験者の証言を中心に記述したものである。今回の大震災が起きた後に再読した。
最初に読んだのがいつだったか覚えていないが、淡々とした記述だからこそかえって強い印象を残す、吉村昭の特徴がこの作品にも現れている。もともとの題は「海の壁」だったというが、浜辺や海水浴場で見るのとは全く違う、「壁」となった波の恐ろしさと凄まじさが伝わってくる。
ただ、作品の最後で、著者が将来の津波被害や対策の効果についてかなり楽観的な見方が示しているのは(今回の大災害を受けての結果論になってしまうが)いま読むと気になる点である。著者が三陸沿岸を愛していたが故に、その眼が曇らされていたのでは、とも思ってしまった。
ネタバレになるが、作品の終わりの部分で、度重なる津波で甚大な被害を受けた岩手県の町が、大規模な防潮堤を建設したこと、それがその後の津波で効果をあげたことが紹介されている。そして、「頑丈な防潮堤は、大津波がそれを乗り越えた場合でも、津波の力を損耗させることは確かで、それだけでも被害はかなり軽減されるに違いない」という内容のことを書いている。
さらに、『津波は今後も襲ってくるが、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う』という津波体験者の言葉を紹介した上で、「この言葉は、すさまじい幾つかの津波を体験してきた人のものだけに重みがある」と書いている。吉村昭にしては、かなりはっきりと自分の見方を示しているといえるように思う。
しかし今回の大津波は、この防潮堤を乗り越えただけでなく、街に壊滅的な被害をもたらした。防潮堤は確かに津波の力をいくばくか削いだことだろうが、効果があったというにはあまりに悲惨な被害である。下記の記事のように、「これほどの防潮堤でも甚大な被害を防げなかった」と衝撃を与えたことも報道されている。大津波の破壊力を「海の壁」とまで表現した著者が生きていたら、どう思ったことだろうか。
http://www.asahi.com/national/update/0319/TKY201103190440.html
また、この作品で描かれた過去の津波で被害を受けなかった地域では、「あの時も津波はここまで届かなかったのだから」と今回避難をせず、命を落とした人たちがいるということも伝えられている。
http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201103/h1103204.html
過去の津波の記憶や、それに基づく対策が、かえってある種の安心感や油断を与えていたのでは、と言ったら犠牲者に失礼になるだろう。今回の地震と津波の規模は、千年に1回という人もいるほど桁外れなものだったのだから。そして3月11日が、不幸にしてその日になってしまった。
今回の大震災を受けての不公平な印象も書いたが、それでもこの作品は、執筆当時存命していた大津波の体験者からたんねんに話を聞き、恐るべき自然災害を再構成した、見事な記録文学だと思うことに変わりはない。ここに描かれた津波から復興したように、三陸沿岸が今度も立ち直ることを願いたい。
最後に、英語にからんだ余談を書くと、tidal wave として覚えていた「津波」の英訳について、この本を読んだあと、「この英語では実態が伝わらないのではないか」と思うようになったと記憶している。seismic sea wave とか earthquake wave という英訳を与えている辞書もあり、tidal wave よりふさわしいのではないかと思う。数年前のインド洋大津波の時は、英語メディアも tsunami と日本語のままで使っていた。
過去の参考記事:
「震源」と「震源地」はどう違うのか
語学に打ち込んだ江戸の先人
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本当に衝撃的な記録です。吉村さんの記録が生かされなくて残念でなりません。
私もブログに感想を書きましたので、お読みいただければ幸いです。
by 伊藤晋 (2011-05-15 00:43)
伊藤さん、ありがとうございました。吉村昭氏は、近年三陸の人々の間で津波の記憶が薄れていることに懸念を示していましたね。地域の過去の記憶が今回生かされなかったとしたら、本当に残念なことだと思います。
by 子守男 (2011-05-15 14:29)