シューマッハーは手術「も」危険な状態 (テレビニュースの字幕について) [日本語]
年末を迎えてぼーっとテレビを見ていたら、F1チャンピオンのミハエル・シューマッハーが事故で意識不明、というニュースが流れてきて驚いたが、画面の字幕スーパーにちょっと気になった表記があった。
いつの頃からか、テレビのニュースはアナウンサーやキャスターの読みだけでなく、内容を簡潔な字幕スーパーで示すようになった。これはいいことでもあり悪いことでもあると思っているが(これについては後述)、今回気になったのは次のようなことである。
そのニュースを見ていたら、シューマッハーの容態について、字幕の1行目に「頭にけが」というようなことが書かれていて、2行目には「手術も危険な状態」とあった。
こうしたスーパーの2行目は、多くの場合、直後に読まれる内容を先取りすることになる。そこで、「そうか、すぐに手術もできないほど悪いのか」と思ったら、流れてきたアナウンサーの音声は、「手術を受けましたが危険な状態ということです」というようなものだった。
つまり、私は字幕を見て、手術を「するのも」危険な状態、と受け取ったのだが、制作担当者は、手術を「するも」(=したものの)危険な状態、のつもりでこのスーパーを作った、というわけである。
「お前の日本語の問題だ」と言う人がいるかもしれないが、やはりちょっとまぎらわしい表記ではないだろうか。映画と同じでテレビにも字数制限があるだろうから担当者も苦労しているだろうが、誤解されるようなはしょり方は困る。
また、たった一文字で意味が異なってしまうのだから、日本語とは難しいものだなあ、とあらためて思った次第である。
ところで、最初に書いた「字幕も良し悪し」についてだが、スーパーがつくようになったのが聴覚障害者に対する配慮からなのかどうかわからないが、画面を見るだけで(音を聴かなくても)内容がわかるのが便利なことはいうまでもない。
その一方で、字幕に制作者の意図がこめられているように感じることもあって、「余計なことをしないでくれ」と言いたくなることもある。
具体的には、ある特定の言葉だけ色や字体を変えて表示する、という手法である。そうでなくてもスーパーは制作者が「ここがポイント」と考えていることを示しているのに、さらにこうした表示をするのは、制作者側が「ここが特に重要なんですよ」と輪をかけて強調しているとも受け取れる。
これがエンターテインメント番組、あるいはニュースでもやわらかい街ネタなら効果的で問題はないが、ハードなニュースでは、どう受け取るかは個人に任されていると思う。特定の文字を黄色くしたり大きくしたりフォントを変えたりして目立たせるのは、余計なお世話、何か特定の意図でもあるのか、と感じることがあるのは、私がへそまがりなのだろうか。
ついでに、昔ドイツ語をかじったことがあるので余談だが、Schumacher は英語で shoemaker 「靴職人」の意味である。「シューマッカー」のように発音している人もいて、あまり原音にこだわらない英語圏の傾向をかいま見ることができる。こうした英語ネイティブの Michael は当然?「ミハエル」ではなく「マイクル」になりがちだ。
ところでF1レーサーといえば、かなり前になるが、たまたまテレビをつけたら、ちょうどアイルトン・セナがレース中にクラッシュし重体というニュースをやっていたことを思い出す(その後死亡)。私は別にF1のファンではないが、シューマッハーの回復を願ってやまない。
なお、テレビニュースの字幕をめぐっては、「数10人」や「20数個」といった表記に抱く違和感についてずいぶん前に書いたことがあり、参考にしていただければ幸いである。
(参考記事)
・気になる表記「数10」「10数」
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2006-12-06
いつの頃からか、テレビのニュースはアナウンサーやキャスターの読みだけでなく、内容を簡潔な字幕スーパーで示すようになった。これはいいことでもあり悪いことでもあると思っているが(これについては後述)、今回気になったのは次のようなことである。
そのニュースを見ていたら、シューマッハーの容態について、字幕の1行目に「頭にけが」というようなことが書かれていて、2行目には「手術も危険な状態」とあった。
こうしたスーパーの2行目は、多くの場合、直後に読まれる内容を先取りすることになる。そこで、「そうか、すぐに手術もできないほど悪いのか」と思ったら、流れてきたアナウンサーの音声は、「手術を受けましたが危険な状態ということです」というようなものだった。
つまり、私は字幕を見て、手術を「するのも」危険な状態、と受け取ったのだが、制作担当者は、手術を「するも」(=したものの)危険な状態、のつもりでこのスーパーを作った、というわけである。
「お前の日本語の問題だ」と言う人がいるかもしれないが、やはりちょっとまぎらわしい表記ではないだろうか。映画と同じでテレビにも字数制限があるだろうから担当者も苦労しているだろうが、誤解されるようなはしょり方は困る。
また、たった一文字で意味が異なってしまうのだから、日本語とは難しいものだなあ、とあらためて思った次第である。
ところで、最初に書いた「字幕も良し悪し」についてだが、スーパーがつくようになったのが聴覚障害者に対する配慮からなのかどうかわからないが、画面を見るだけで(音を聴かなくても)内容がわかるのが便利なことはいうまでもない。
その一方で、字幕に制作者の意図がこめられているように感じることもあって、「余計なことをしないでくれ」と言いたくなることもある。
具体的には、ある特定の言葉だけ色や字体を変えて表示する、という手法である。そうでなくてもスーパーは制作者が「ここがポイント」と考えていることを示しているのに、さらにこうした表示をするのは、制作者側が「ここが特に重要なんですよ」と輪をかけて強調しているとも受け取れる。
これがエンターテインメント番組、あるいはニュースでもやわらかい街ネタなら効果的で問題はないが、ハードなニュースでは、どう受け取るかは個人に任されていると思う。特定の文字を黄色くしたり大きくしたりフォントを変えたりして目立たせるのは、余計なお世話、何か特定の意図でもあるのか、と感じることがあるのは、私がへそまがりなのだろうか。
ついでに、昔ドイツ語をかじったことがあるので余談だが、Schumacher は英語で shoemaker 「靴職人」の意味である。「シューマッカー」のように発音している人もいて、あまり原音にこだわらない英語圏の傾向をかいま見ることができる。こうした英語ネイティブの Michael は当然?「ミハエル」ではなく「マイクル」になりがちだ。
ところでF1レーサーといえば、かなり前になるが、たまたまテレビをつけたら、ちょうどアイルトン・セナがレース中にクラッシュし重体というニュースをやっていたことを思い出す(その後死亡)。私は別にF1のファンではないが、シューマッハーの回復を願ってやまない。
なお、テレビニュースの字幕をめぐっては、「数10人」や「20数個」といった表記に抱く違和感についてずいぶん前に書いたことがあり、参考にしていただければ幸いである。
(参考記事)
・気になる表記「数10」「10数」
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2006-12-06
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