ジェームズ国王もびっくり! 「ジェームズ・キング編 聖書」 [聖書・キリスト教と英語]
B. B. キングに触れた前回予告したように、この週末、偶然にも別の「キング」に遭遇した。よく立ち寄る書店の洋書コーナーに日本語の帯がついたペーパーバックが並んでいるが、そのひとつ「聖書」の帯に、「ジェームズ・キング編」と書かれているのを見つけたのだ。
英語文化を多少知っている方なら、これだけで何のことかわかっていただけると思うが、帯を目にした時は一瞬きょとんとし、次には声をあげて笑いそうになり、それを抑えるのに苦労した。
本のタイトルは The Holy Bible: King James Version で、ジェームズ1世の命で翻訳編纂され1611年に刊行された、かの権威ある英語版聖書である。日本語では「欽定訳聖書」と呼ばれている。
まあ、帯の説明を考える人が必ずしも英語や英語文化に詳しいとは限らない。だから、「国王ジェームズ1世」や「欽定訳」を知らなかったとしても、責めるのは酷かもしれない。
しかし、「キング・ジェームズ」だったら、「あれ?この帯を書いた人はもしかしたらジェームズ国王や欽定訳のことを知らないのかな?」と思わせるだけで済んだのに、なぜまた「ジェームズ・キング」と、わざわざ King と James をひっくり返したのか。かえって謎である。
そして、そんな帯に「TOEICレベル730点以上」と書かれているのが、また不思議な印象を与える。
何せ古い英語で書かれているし、読むにはかなり高い英語力が必要ではないかと思われることもあって、「これを読めるくらいの人がジェームズ国王と欽定訳について知らないなどということがあり得るのか」「帯をつくった人は本当に読んだのだろうか」という疑念が湧いてしまう。
もちろん、考えてみれば「ジェームズ・キング」と書いた人と、レベルを判定した人が同一人物である必要はないのだが、そうした理屈はすぐには思い至らない。宣伝としては何とも奇妙な帯なのである。
いずれにせよ、帯を作っているのはペーパーバックの輸入代理店だろうと思うが、ちょっとカッコ悪いのではないか。
・・・というようにエラそうなことを書いたが、私も欽定訳の聖書をちゃんと読んだわけではもちろんなく、聖書に由来する英語のイディオムがあると該当箇所をネットにある欽定訳で確かめてみる程度である。
ただ、そうしたイディオムは、欽定訳と単語・表現がそろっている場合が多いが、口語訳聖書とは異なるケースもある、という印象があり、実例をあげたこともある(→ labor of love 「好きでする仕事」「奉仕活動」)。限られた自分の経験にしかすぎないが、欽定訳が今も生きている証といえるかもしれない。
日本の聖書も、今でも文語訳の方が格調高く味わいがあるとして引用されることがあり、私も(キリスト教徒ではないが)冊子の形で持っているのは日本聖書協会の文語訳聖書で、時おり参照している(例えば→ kiss of death 「命取り」 (「007 ゴールドフィンガー」))。欽定訳聖書の位置づけに似ているようで、おもしろい。
ということで、今回はあまり英語学習には役立たない、箸休めのような内容になったが、お許しいただきたい。
英語文化を多少知っている方なら、これだけで何のことかわかっていただけると思うが、帯を目にした時は一瞬きょとんとし、次には声をあげて笑いそうになり、それを抑えるのに苦労した。
本のタイトルは The Holy Bible: King James Version で、ジェームズ1世の命で翻訳編纂され1611年に刊行された、かの権威ある英語版聖書である。日本語では「欽定訳聖書」と呼ばれている。
まあ、帯の説明を考える人が必ずしも英語や英語文化に詳しいとは限らない。だから、「国王ジェームズ1世」や「欽定訳」を知らなかったとしても、責めるのは酷かもしれない。
しかし、「キング・ジェームズ」だったら、「あれ?この帯を書いた人はもしかしたらジェームズ国王や欽定訳のことを知らないのかな?」と思わせるだけで済んだのに、なぜまた「ジェームズ・キング」と、わざわざ King と James をひっくり返したのか。かえって謎である。
そして、そんな帯に「TOEICレベル730点以上」と書かれているのが、また不思議な印象を与える。
何せ古い英語で書かれているし、読むにはかなり高い英語力が必要ではないかと思われることもあって、「これを読めるくらいの人がジェームズ国王と欽定訳について知らないなどということがあり得るのか」「帯をつくった人は本当に読んだのだろうか」という疑念が湧いてしまう。
もちろん、考えてみれば「ジェームズ・キング」と書いた人と、レベルを判定した人が同一人物である必要はないのだが、そうした理屈はすぐには思い至らない。宣伝としては何とも奇妙な帯なのである。
いずれにせよ、帯を作っているのはペーパーバックの輸入代理店だろうと思うが、ちょっとカッコ悪いのではないか。
・・・というようにエラそうなことを書いたが、私も欽定訳の聖書をちゃんと読んだわけではもちろんなく、聖書に由来する英語のイディオムがあると該当箇所をネットにある欽定訳で確かめてみる程度である。
ただ、そうしたイディオムは、欽定訳と単語・表現がそろっている場合が多いが、口語訳聖書とは異なるケースもある、という印象があり、実例をあげたこともある(→ labor of love 「好きでする仕事」「奉仕活動」)。限られた自分の経験にしかすぎないが、欽定訳が今も生きている証といえるかもしれない。
日本の聖書も、今でも文語訳の方が格調高く味わいがあるとして引用されることがあり、私も(キリスト教徒ではないが)冊子の形で持っているのは日本聖書協会の文語訳聖書で、時おり参照している(例えば→ kiss of death 「命取り」 (「007 ゴールドフィンガー」))。欽定訳聖書の位置づけに似ているようで、おもしろい。
ということで、今回はあまり英語学習には役立たない、箸休めのような内容になったが、お許しいただきたい。
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確かにブッ飛んだ,あきれた笑い話ですね。英語文化を学ぶ上で常識中の常識とも言えるジェームズ王欽定訳を,こんな帯にする人たちがいるとは,まったくの驚きです。
by Lingo-Field (2015-05-19 21:22)
そうなんです。私も「何やってんだ」と思った、というのが正直なところですが、気弱な性格なので優しく表現してみました。あ、ホンネを書いてしまいましたね。
by tempus fugit (2015-05-19 23:18)
実はジェイムズ1世には「ジェームズ・キング」という筆名で
文筆活動をしたという、本人も知らない過去が…とかw
by お名前(必須) (2016-06-17 14:18)
あっはっは、そう考えるとおもしろいですね。
全然関係ありませんが、作家キングズリー・エイミス Kingsley Amis が The King's English という本を書いていたのを思い出しました。
by tempus fugit (2016-06-18 11:41)
英語では名前、姓の順。帯の作者はKingを名前と思い、日本語ならジェームズ・キングだろうと思った。推理ですが... 笑
by わたべ (2017-11-12 09:40)
”欽定訳が今も生きている”についてすこばかりコメントをします。まず,私の英語力では,欽定訳には,歯が立ちません。そこで,欽定訳を現代英語にした新欽定訳(NJKV,New king James Version)を使っています。この新欽定訳は,日本ではあまり使われていません。日本のキリスト教は米国の影響が大きく,米国で翻訳されたNIV(New International Version)が多く用いられてるようです。私も,日本にいたときは,もっぱら,NIVを読んでいました。しかしながら,旧大英帝国領では,新欽定訳が標準訳です。,新欽定訳のほうが,格調が高いように感じます。
米国訳と欽定訳との相違で,timshel という言葉について,面白い逸話があります。シュタイン・ベックの”エデンの東”で取り上げてられています。
欽定訳
If thou doest well, shalt thou not be accepted? and if thou doest not well, sin lieth at the door. And unto thee shall be his desire, and thou shalt rule over him.
アメリカ標準訳
If thou doest well, shall it not be lifted up? and if thou doest not well, sin coucheth at the door: and unto thee shall be its desire, but do thou rule over it
なった意味となっています。
KJVでは「あなたは罪を治めるだろう」
ASVでは「あなたは罪を治めなければならない」
残念ながら,私はヘブライ語がわからないので,どちらの訳がいいんpか,判断がつきません
by yokozuki (2019-10-06 18:13)
最近多忙でブログはお留守状態で、お礼が遅くなりすみません。日本でも最近、新しい「聖書協会共同訳」が出ましたね。まだ見ていませんが、過去の訳と比べたらいろいろ発見がありそうですね。
by tempus_fugit (2019-10-08 09:09)