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アバドの「ブランデンブルク協奏曲」 [ジャズ・クラシック]

concerto を辞書で引くと、harmonize を意味するイタリア語に由来するとある。ソロ奏者が中心的存在となりがちな協奏曲だが、年末年始の休みに見た「ブランデンブルク協奏曲」の新しいDVDは、もともとの意味を思い起こさせてくれるような内容だった。


Brandenburg Concertos 1-6 (Ws Ac3) [DVD] [Import]

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  • 出版社/メーカー: Medici Arts
  • メディア: DVD

バッハのこの名作はバロック時代の作品だから、ソロ楽器と管弦楽の線引きが明確になったそれ以降の協奏曲と比較するのは適切でないともいえるが、奏者たちがお互いの音を聞きあいながら演奏を進めているさまが時おり映し出され、室内楽のような雰囲気である。また、画面にそれぞれの楽器が映し出されることによって、そのパートが耳にもクローズアップされて聞こえ、その音が他の楽器が奏でる旋律と混ざり合って美しい響きを紡ぎだしていることがわかる。

CDや演奏会で何回も聞いたことがある作品なのに新鮮な感じを受けたのは、視覚がプラスに働いた際に持つ力の大きさであろうか。もちろんコンサートでも奏者の演奏の様子は目がとらえているが、演奏会場ではどうしても奏者からかなり離れて聞くことになるので、意図的に撮影された映像を見ているようにはいかない。

クラシックの映像では、演出が裏目に出たと思う場合もある。指揮者やソロ奏者の表情を異様なほどのアップでとらえていたり、まるでニュースのように各楽器を短いカットをつないでいたりする映像は、作品への集中力をむしろ削ぐものであるが、このDVDはそうした凝り過ぎもなく、安心して見ていられた。

この作品の「ブランデンブルク協奏曲」という格好いい(?)タイトルは後世つけられたもので、本来は「さまざまな楽器による6つの協奏曲」とそっけないが、映像によって、バッハ自身が与えた題の持つ意味を実感することもできた。6つの曲ごとに異なった楽器が活躍する様子を見ることで、作品が持つ多様性を改めて認識したように感じたのである。もちろん、音だけで鑑賞する場合も各曲の楽器編成はわかって聞いているのだが、視覚の持つ力はここでも大きい。

指揮しているのはクラオディオ・アバド Claudio Abbado という大物で、彼のファンや指揮に詳しい人なら、その棒さばきをもっと見たいと思うかもしれない(しかも彼がバッハを振るのは珍しいはずだ)。私はそうした興味がないうえ、アバドの解釈も私が聞く限りは(ありがたいことに)個性的といえるほどのものではなかったので、「アバドのバッハを聞く」のではなく、奏者たちの「協奏」を楽しんで見ることができた。

かつては「若手中堅指揮者」的存在だったアバドも、いまや七十代半ばになった。名門ベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者に選ばれたものの、いまひとつぱっとせず、その後ガンを患い、今回の映像でも実年齢に輪をかけてやつれた様子がありありとわかる。苦しい体験を経なければ、もっと自分を打ち出した、もう少しクセのある(そしてバッハに似つかわしくない)演奏を奏者に強いたかもしれない、と勝手な想像をめぐらしたりもした。

表情を変えず、淡々とした指揮ぶりであったが、奏者の遊び心も感じられる、しかし名人芸に溢れたアンコールが終わったあと、音楽を心から愉しんだというようなアバドの表情が印象的だった。

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