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「緋色の研究」の「タメ語」の研究 [シャーロック・ホームズ]

散らかる一方の私物を整理していたら、このところ所在不明になっていた本が見つかった。シャーロック・ホームズが初めて登場したコナン・ドイル作「緋色の研究」の、阿部知二による翻訳である(なお以前書いたように、原題の A Study in Scarlet は「緋色の習作」とするべきだという説もあるが、ここでは「研究」としておく)。


緋色の研究 【新版】 (創元推理文庫)

緋色の研究 【新版】 (創元推理文庫)

  • 作者: コナン・ドイル
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2006/04/28
  • メディア: 文庫


私の本棚には、この作品の翻訳がこのほか2冊並んでいる。私はホームズ・ファンなので、さらにいくつか翻訳を読んだことがある。その範囲での話だが、阿部知二の訳には他に見られない特徴がひとつあって、私はそこが大変気に入っている。

この作品でホームズは、シリーズの語り手となるワトソン医師と初めて対面するのだが、阿部訳では、交友を結んで間もない2人の間の距離感がうまく描かれている。簡単にいえば、ホームズとワトソンは、なかなか「タメ口」をきかないのだ。

第1章で、ワトソン博士はひょんなきっかけからホームズと知り合い、家賃を折半して同じアパートに住むことを決める。第2章では、共同生活を送ることになったホームズがいかに風変わりな人物か、ワトソンが気づいていく様子が描かれる。

会ったそばから意気投合、という人間関係もあるだろうが、ホームズは自分が諮問探偵であることをすぐにはワトソンに明かしていないこと、また徐々に明らかになるホームズの風変わりな性格などを考えれば、2人を早々となれなれしい口をきく関係として描くのはいかがなものか、と私は思う。

阿部訳では、話が進むにつれて、ホームズとワトソンの会話からていねいな言葉づかいが減っていく。そしてほとんど親しげな口調になったと思ったら、またも「です・ます」調がはさまる。こうした仕掛けをしているのは、私が読んだ範囲ではこの翻訳だけである。数年前に新しいホームズ全集が刊行された時も、どう訳されるかと注目したが、残念ながら2人はすぐに「タメ」になっていた。

もちろん、阿部訳が「緋色の研究」のもっともすぐれた訳だといいたいわけではない。先の新訳を含めて、他の翻訳には阿部訳よりずっとこなれていると思う部分もある。しかし阿部訳からは、もし2人の日本人が同じような状況に置かれたらどんな言葉づかいをするか、その点を意識し、心配りをしていることが読み取れる。読んでいるとそこが何となくうれしくなる。

私はこの作品の原書も読んだことがあるが、ホームズとワトソンの距離感の変化が英語の表現にも織りこまれているのか、そこまでは読み取れていない。ただ一般論としては、上記のようなことが気になるのは日本語だからこそ、といえるのではないかと思う。

登場人物にどういう言葉づかいをさせるのかは、ひとえに翻訳者が作品の設定や登場人物像、また人物同士との関係をどうとらえるかにかかってくる。異なる訳によって、それががらりと違ってくる可能性があるのが、翻訳の難しいところであり、一方で面白いところである。好きな作品ならば、複数の翻訳を読んでみようということにもなる。

以前書いたことがあるが、「アルジャーノンに花束を」という作品では、主人公が自分をどう呼ぶかが翻訳によって違っていた。また、レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる探偵フィリップ・マーロウは、広く読まれている翻訳のため、「私」を使うというイメージが定着しているのではないかと思うが、昔読んだ訳では「おれ」にしているものがあって面食らったものだった。

さて、ホームズものの翻訳では、ささいだがもうひとつ気になることがあるので、ついでに書いておく。それは、ある翻訳者の全集では、ホームズがワトソンを必ず「君」づけで呼んでいることである。

原文で、"My dear Watson" とあるのをこう訳したのだと思うが、2人のつきあいが長くなった段階でも、また、原文では単に "Watson" と呼びかけている場合でも、やはり「ワトスン君」となっている(この訳者は「ワトスン」という表記を使っている)。阿部訳「緋色の研究」とは逆の意味で、個人的にはちょっと気になる点である。

ところでホームズとワトソンは、お互いを「シャーロック」「ジョン」とファースト・ネームで呼びあうことは決してない。2人が属していると思われる当時のイギリスの中産階級には、名前の呼び方では日本と似たような習慣があったのだろうか。

追記(2011年2月):
創元推理文庫の阿部訳「緋色の研究」は絶版となり、新訳が出版されたので、取り上げた。
「緋色の研究」の新訳

過去の参考記事:
「緋色の研究」(あるいは「習作」)のこと
「ワトソン」か「ワトスン」か~「慣用表記」とはいうものの…
2つの「アルジャーノンに花束を」(続・印象に残った翻訳)

タグ:翻訳・誤訳
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コメント 2

tomo

緋色の「研究」は「習作」と訳すべきではないかと最初に言い始めた、今では中年サラリーマン(当時は大学生)です。タメ口の件、興味深く拝読いたしました。
007のパスティシュを読むと、ボンドがアメリカ人軍人から馴れ馴れしくジミーなどと呼ばれはしないかと恐れるシーンが出てきます。本当は「コマンダー・ボンド」と正式に呼んで欲しいのに、とつぶやいていた記憶があります。ヴィクトリア朝のイギリス人であるホームズとワトスンは特に節度を持った共同生活をおくっていたようですね。本件から派生して、ホームズと警察官(レストレードやホプキンズなど)との口の利き方にもご注目いただくと結構面白いことに気づかれると思いますよ。
by tomo (2009-12-29 15:52) 

子守男

tomoさん、コメントありがとうございました。警察官とのやりとりについては、時間ができたらじっくり読んでみようと思いますが、果たして気づくことができるかどうか・・・。
最初に「習作」と訳すべきではないか、とおっしゃったとのことを含め、大変なホームズ研究家とお見受けいたします。いろいろと教えていただきましたら幸いです。
年末から帰省していましてパソコンを使えなかったので、お礼が遅くなりまして申し訳ありませんでした。

by 子守男 (2010-01-03 15:26) 

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