オバマ就任演説の誤訳~ no more A than B について [翻訳・誤訳]
このところオバマ大統領の就任演説について書いた関連で、ネットでいくつかの記事を見ていたら、ある新聞がこの演説の一節を誤訳し、訂正記事を出していたことを知った。
それによると、
... For the American people can no more meet the demands of today’s world by acting alone than American soldiers could have met the forces of fascism or communism with muskets and militias.
という部分を、
かつての米兵は、小銃を携え、民兵とともにファシズムや共産主義に立ち向かうことが出来た。だが米国民はもはや、単独で行動していては、今日の世界の要求に応えることはできない。
と訳して記事にしたが、翌日、
かつての米兵が、小銃を携え、民兵とともにファシズムや共産主義に立ち向かうことが出来なかったように、米国民はもはや、単独で行動していては、今日の世界の要求に応えることはできない。
と訂正する「おわび」を出した、という。
http://gohoo.org/corrections/yomiuri130124/
no more A than B といえば、私よりさらに前の世代では、
A whale is no more a fish than a horse is.
(「クジラが魚ではないのは、馬が魚でないのと同じだ」「クジラが魚だというのは、馬が魚だということと変わらない」)
という例文が「定番」で、「クジラの構文」「クジラの公式」という呼び名までついていた。私は英語の専門家ではないが、今回のオバマ演説の一節もこの構文として解釈すればいいはずだ。
この例文については、私の世代でも、すでに「何でクジラと馬を引き合いにしなければならないのか?」と笑いのタネになっていたほどだ。しかし逆に言えば、それほどこの構文をしっかりと教えていたといえるかもしれない。
この構文が近年の授業でどのように扱われているのか知らないし、誤訳した担当者も、私と同世代か、さらに上の人かもしれない。この構文につまずいた生徒は昔もたくさんいたはずである。
だから単純に「昔はよかった」というつもりもないが、難しく見えるこのような構文は、「コミュニケーションのための英語」の必要性が高まる中で、排除される傾向にあるのではないかと思う。
私が若い時からすでに、「こんな例文はバカバカしい」という声だけでなく、「ネイティブはこんな構文は使わない」といった意見が、特に実用英語推進派の間からあがっていたと記憶している。
しかし、アメリカの大統領が就任演説でこうした構文を使ったことに変わりはない。そして、日本を代表する大新聞がそれを正しく伝えることができなかった。
私も英文を読んでいてこの構文を実際に目にしたことがある。別に古典ではなく、れっきとした現代の英語だった。
確かに、英語で話す時に「クジラ構文」を無理に使う必要はない、というよりわざわざ使う人は少ないだろう。しかし、だからといって、こうした構文を教えること自体を葬っていいとは思わない。「死語」とまでは決して言えないのだから。
英語と縁がなくなった人は忘れても構わないだろうが、学校を出たあとも英語とつきあっていこうという人、ましてや翻訳を公共の場に問う立場にある人ならば、自分からは使わないまでも、ちゃんと把握しておく必要があるはずだ。
さらに思うのだが、「子供が覚えるように英語を学ぶ」あるいは「辞書や文法書を一切捨て、とにかく多読すればいい」といった流派に従った場合、果たして no more ... than の正しい意味を自然に理解できるようになれるのだろうか。そのためには、どれほどの量の自然な英語に触れなくてはならないだろうか。
クジラを引き合いにする例文は確かに失笑ものだろうが(しかし印象的ではあった!)、多少の苦労はしても、何らかの形で意図的に覚えた方が、オバマ大統領の生きた英語を正しく味わえるようになるのではと思うのだが。
関連記事:
続・「クジラの構文」の実例~007の原作より
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2013-02-24
それによると、
... For the American people can no more meet the demands of today’s world by acting alone than American soldiers could have met the forces of fascism or communism with muskets and militias.
という部分を、
かつての米兵は、小銃を携え、民兵とともにファシズムや共産主義に立ち向かうことが出来た。だが米国民はもはや、単独で行動していては、今日の世界の要求に応えることはできない。
と訳して記事にしたが、翌日、
かつての米兵が、小銃を携え、民兵とともにファシズムや共産主義に立ち向かうことが出来なかったように、米国民はもはや、単独で行動していては、今日の世界の要求に応えることはできない。
と訂正する「おわび」を出した、という。
http://gohoo.org/corrections/yomiuri130124/
no more A than B といえば、私よりさらに前の世代では、
A whale is no more a fish than a horse is.
(「クジラが魚ではないのは、馬が魚でないのと同じだ」「クジラが魚だというのは、馬が魚だということと変わらない」)
という例文が「定番」で、「クジラの構文」「クジラの公式」という呼び名までついていた。私は英語の専門家ではないが、今回のオバマ演説の一節もこの構文として解釈すればいいはずだ。
この例文については、私の世代でも、すでに「何でクジラと馬を引き合いにしなければならないのか?」と笑いのタネになっていたほどだ。しかし逆に言えば、それほどこの構文をしっかりと教えていたといえるかもしれない。
この構文が近年の授業でどのように扱われているのか知らないし、誤訳した担当者も、私と同世代か、さらに上の人かもしれない。この構文につまずいた生徒は昔もたくさんいたはずである。
だから単純に「昔はよかった」というつもりもないが、難しく見えるこのような構文は、「コミュニケーションのための英語」の必要性が高まる中で、排除される傾向にあるのではないかと思う。
私が若い時からすでに、「こんな例文はバカバカしい」という声だけでなく、「ネイティブはこんな構文は使わない」といった意見が、特に実用英語推進派の間からあがっていたと記憶している。
しかし、アメリカの大統領が就任演説でこうした構文を使ったことに変わりはない。そして、日本を代表する大新聞がそれを正しく伝えることができなかった。
私も英文を読んでいてこの構文を実際に目にしたことがある。別に古典ではなく、れっきとした現代の英語だった。
確かに、英語で話す時に「クジラ構文」を無理に使う必要はない、というよりわざわざ使う人は少ないだろう。しかし、だからといって、こうした構文を教えること自体を葬っていいとは思わない。「死語」とまでは決して言えないのだから。
英語と縁がなくなった人は忘れても構わないだろうが、学校を出たあとも英語とつきあっていこうという人、ましてや翻訳を公共の場に問う立場にある人ならば、自分からは使わないまでも、ちゃんと把握しておく必要があるはずだ。
さらに思うのだが、「子供が覚えるように英語を学ぶ」あるいは「辞書や文法書を一切捨て、とにかく多読すればいい」といった流派に従った場合、果たして no more ... than の正しい意味を自然に理解できるようになれるのだろうか。そのためには、どれほどの量の自然な英語に触れなくてはならないだろうか。
クジラを引き合いにする例文は確かに失笑ものだろうが(しかし印象的ではあった!)、多少の苦労はしても、何らかの形で意図的に覚えた方が、オバマ大統領の生きた英語を正しく味わえるようになるのではと思うのだが。
関連記事:
続・「クジラの構文」の実例~007の原作より
http://eigo-kobako.blog.so-net.ne.jp/2013-02-24
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大変参考になり、おっしゃっているご意見は貴重です。
私は戦前派ですが、同じように考えます。
by ogi nobuyoshi (2016-05-28 06:54)
ogi nobuyoshiさん、コメントありがとうございました。「実用英語」を「会話で使う構文・文法事項」ととらえて、その範囲だけを教ればいいというのでは、日本人の英語力は確実に退化すると私は考えています。
私は必ずしも「昔の英語教育のほうが良かった」とは思っていませんが、一方で、「使える英語」というかけ声のもと、学ぶべき事項が下方収斂しているでなければいいのだが、といった懸念も抱いています。
by tempus fugit (2016-05-29 20:08)