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オバマ大統領の広島演説 具体論には踏み込まず [日本のニュース]

感動したという人には申し訳ないが、「ちょっと長いな」と思ってしまったスピーチだった。具体的な行動への言及がなく、文字通り long on words, short on deeds という言葉が頭をよぎった。むしろ演説のあと、被爆者と交わした無言のハグの方が今回の訪問の意義を雄弁に物語っているように感じ、見ていて思わず目頭が熱くなった。



とはいえ演説は生中継(同時通訳)を仕事場で“ながら視聴”しての感想だし、事前に「数分間程度の所感になる見通し」と報じられていたので先入観もあったかもしれない。そこで、あらためて英語の動画をインターネットで見て、ホワイトハウスの公式サイトに掲載された全文も読んでみたが、印象は変わらなかったので、理由を少し考えてみた。

17分間に及んだスピーチに原語で触れてまず感じたのは、we という単語が多いな、ということだった。この言葉はもちろん、オバマ氏が代表しているアメリカ(の政府や国家、国民)といった特定の集団ではなく、一般的な意味での“われわれ”、核廃絶に向かって努力しなくてはいけない”われわれ”を指しているはずだ。

「ヒロシマ(およびナガサキ)」に触れつつもそれに限定せず、人類が目指すべき「核のない世界」という目標について広く語るのが当初からの考えだったろうし、被爆者に意を尽くしつつも謝罪はできない、という今回の訪問の性格も、一般的な we の多用につながったのだろうと想像する。ただ、あちこちで we を使うことによってかえって焦点が定まらなくなってしまい、それが私にとっては「ちょっと長い」という感想になったのだと思う。

責任論につながりかねない、「原爆を落としたアメリカと、落とされた日本」という対比を明確に表す言い方も避けていた。対比的に言及していたといえそうなのは、「核廃絶を目指すべきわれわれ」に対する、「かつて世界大戦を闘った強国(複数形)」である。

- The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations.Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth. And yet, the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes

ここでは「ヒロシマ・ナガサキ」という言葉は出てくるものの、全体としては世界大戦という大きな枠組みでとらえている。具体的な国名は挙げずに、あくまで「現在のわれわれ」と「過去の国々」という括りで対比している。

また、"Japan" という言葉が単体が使われたのはただ一か所。それも「かつて敵国だったアメリカと日本は、戦後、強固な関係を築いた」という、前向きな文脈である。

- And since that fateful day, we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people than we could ever claim through war.

アメリカを特定して述べた部分も少ないと感じた。「核なき世界を目指す」というメッセージに触れている、

- We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations -- and the alliances that we’ve formed -- must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear, and pursue a world without them.

の部分でも、アメリカは「核保有国のひとつ」という位置づけであり、アメリカが率先して何かをする、という表現はしていない。

いやもしかして、アメリカとしての何らかの目標や行動に言及するための前置きなのでは、と思ったが、これに続く展開を見ると、

- We may not realize this goal in my lifetime... We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. We can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics.

というように、主語は we のままで、may (not) や can という弱い言葉が続いていて、期待に反してどうにも抑えた言い方に感じられてしまう。

この直後には

- And yet that is not enough... We must change our mindset about war itself... And perhaps above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race.

という強めの表現が出てくるが、must を使っていても内容はやはり理念的だし、主語も総称的な we のままだ。

これに続く部分は

- We can learn. We can choose. We can tell our children a different story...
We see these stories in the hibakusha -- the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb, because she recognized that what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here, because he believed their loss was equal to his own.

となっていて、今回の演説で原爆をめぐってアメリカと日本がもっとも具体的に語られた部分といえるかもしれない。とはいえ、紹介されている被爆者の話はアメリカ側に寄り添った内容であり、オバマ大統領が自国内の世論に相当配慮したことを示しているかのようだ。そして、we を使って大きな枠組の中で語っているのも先立つ部分と同様だ。

そして演説は、

- The world was forever changed here. But today, the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting, and then extending to every child. That is the future we can choose -- a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.

と締めくくられる。はからずも moral awakening というやや情緒的な言葉で終わっているのが象徴的で、今回の広島訪問でオバマ大統領が置かれた立場の難しさ、そして現実の核廃絶の困難さを示しているように感じた。オバマ氏(とスピーチライター)が、今回の訪問に内在する厳しい条件と限界を念頭に置いて文言を練っているうちに、当初の考えよりずっと長いものになってしまったのではないか、とも想像したくなった。

もちろん核廃絶への道筋を示せというのはムリな注文ではあるが、演説を聞いた一般の人からは、「もっと具体的な内容を聞きたかった」という感想も聞かれたと新聞やテレビで伝えられていたので、やはり物足りなさを感じた人がそれなりにいたということだろう。

今回の演説には、"Why do we come to this place, to Hiroshima?" "...That is why we come to this place." といった表現が出てくる。よく使われるレトリックのパターンであるように思うが、私が思わず連想したのが、50年以上前、東西冷戦で分断されていたベルリンで当時のケネディ大統領が行った "Ich bin ein Berliner." の名演説である。

この中でケネディ氏は、共産主義の同調者、信奉者を念頭に、"Let them come to Berlin." と繰り返した。共産主義がどのような悲劇をもたらすのか、ベルリンに来て現実を見るがいい、そうすれば共産主義の欺瞞がわかる、ということである。ここでの them (they) は、we と対立関係にある相手を指している。

今回のオバマ演説でこうした they にあたるのは、前述のように「世界大戦を戦った過去の国々」だろう("their civilization" "their thinkers" という言い方をしている)。ケネディ大統領が同時代という平面で we と they を分けていたのに対して、オバマ大統領は、過去と現在(そして未来)というタテの時間軸でとらえているといえるかもしれない。

しかし東西冷戦時の we と they と違って、現在の we と過去の they は別個の存在ではない。常に過去の they に戻る危険をはらんでいるはずだ。そうならないために何ができるのか、ムリは承知だが、やはりオバマ大統領にもう少し突っ込んで語ってほしかった、と思う。

オバマ政権下でアメリカの核兵器の廃棄は進んでおらず、ドローンを使った通常兵器の攻撃はむしろ増加傾向にあるという。そうしたことを何かで読んでいただけに、今回の演説を聞いても素直に感心できず、厳しい見方をしてしまったというのが正直なところだが、あくまで私の素人考えなので、内容および英語面で、専門家の分析を知りたいところである。

そういえば、オバマ氏が大統領になった時には演説集が英語学習書としていくつも出たが、中には訳語を列挙しオバマ礼賛の解説を載せて一丁上がり、といった感じだけの本もあったように記憶している。

今回のスピーチも学習書として出版されるものと思うが、「歴史的訪問での演説」と賞賛するだけの通り一遍の内容ではなく、ぜひ骨のある解説とクールな分析を望みたいものだ。



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コメント 2

kikuu

質問です。
- We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations -- and the alliances that we’ve formed -- must possess the means to defend ourselves.
の文の中で、and the alliances that we’ve formedと、we’ve formed となっていますが、ホワイトハウスのサイトにある文では、We formed となっています。どちらが正解、又はどちらも正解、又はve は省略されている。よくわかりません。宜しくお願いします。
by kikuu (2017-10-09 08:28) 

tempus fugit

「ホワイトハウスのサイトにある文では」と書かれていますが、私が本文でリンクを貼っているホワイトハウスのページのテクストは、今でもやはり we've formed となっています。別のページに違うテクストがあるのでしょうかね?

さらにおもしろいのは、あらためて動画を見て気づいたのですが、私の聞き取りが間違いでなければ、オバマ氏自身はおっしゃるように確かに we formed と have 無しで演説していることです。

どちらが正しいのかわかりませんが、当初は have を入れていたのに実際に読む時は削除した、あるいはすっ飛ばして読んでしまった、といったこともありうると思います。

日本語でもそうですが、どんなスピーチであれ、直前に用意していた原稿に手を入れたり、意図せずに違う形で読んでしまったり(読み間違ったり)することはしばしばあるはずです。

とはいえ、真相はもちろん私にはわかりません。それにしても、kikuuさんはこうした細かい点によくお気づきになられましたね!
by tempus fugit (2017-10-10 23:25) 

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