「おくのほそ道」の「平泉」の英訳を比べてみた [日本の文化]
前回、芭蕉の「五月雨の~」の英訳を題材に spare について書いた流れで、この句が載っている「おくのほそ道」の章を英訳で読んだところ、ちょっとおもしろいことに気づいたのでメモしておきたい。
「三代の栄耀一睡の中(うち)にして~」で始まる「平泉」の章を初めて読んだ数十年前、「古文」の成績がからきしダメだった私も、「月日は百代の過客にして~」という「おくのほそ道」の書き出しと並んで「かっこいいなあ」と痺れたものだった。
今回取り上げたいのは、この章の後半部分である。
- 兼て耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽て、既に頽廃空虚の叢(くさむら)となるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆て風雨を凌ぐ。暫時(しばらく)千歳の記念とはなれり。
五 月 雨 の 降 り 残 し て や 光 堂
目で追っただけでも名文だが、いつぞやこの部分をラジオの朗読か何かで耳にした時、音で聞いて気づいたのは、「二堂」「三将」「三代」「三尊」「七宝」という数字が畳みかけるように続くことだった。
少し離れた「四面」「千歳」も含めると、芭蕉は意図的に数字を連ねることである種の効果を狙ったのではないかと思った。
また、芭蕉が当初この部分に掲げようとした句は、「五月雨の~」ではなく、「五月雨や年々降て五百たび」が初案だったことが知られている。さらに数字を続けることを考えていたわけである。
これを取り下げたのは、奥州藤原氏の栄華が500年前であることは当時の読み手なら共通認識となっていたうえ、「千」の次が「五百」と半減してしまうので、この数字を入れるとこの部分の印象がむしろ下がってしまうと芭蕉は考えたのか、と想像したくなる。いずれにせよ「五月雨の~」の方が、歳月の経過にとどまらない深みが感じられるのではないか。
そんなことを思い出したので、何種類かある英訳「おくのほそ道」の中では現在もっとも手に入りやすいと思われるドナルド・キーンの翻訳でこの部分を探してみた。
すると、必ずしも単純な数字で表しているとは限らなかった。全文を引用すると長大になるので、原文の数字部分を抜き書きしてみよう。
- the two halls of the Chusonji
- statues of the three generals
- the Golden Hall has their coffins
- an enshrined Buddha trinity
- the "seven precious things"
- strengthened on all sides
- a monument of a thousand years
さらに、私が持っている別の英訳本(Hiroaki Sato 訳)を見たら、この部分はいずれも原文通りにそのまま数字で表現されていた。
- the two halls
- the statues of the three guardian kings
- the coffins of the three generations
- three Bodhisattvas
- the seven treasures
- enclosed on the four sides
- a thousand years
この二つの訳文を読んで、どうしてこのように訳したのか、それぞれの翻訳者に尋ねてみたいものだと思った。
棺に納められた three generals は、their (coffin) と代名詞で受ける方が英語としては自然なのか。trinity は「三つ揃い」の他に、「三位一体」といった宗教的な意味もあるので「三尊」にあてたのか。英語でも four corners という表現があるが(→こちら)、sides には all のほうがしっくりくるのか。そんなことを故 Donald Keene 氏にうかがってみたい。
Sato 氏には、原文で数字が続いていることを意識してこのように訳したのか尋ねてみたい。また氏はこの訳書の前書きで、英訳の推敲で協力を得た複数のネイティブスピーカー(と思われる人)の名をあげているが、原文通りに数字を訳して列挙したことについて何か意見を受けたのか、そんなこともうかがいたい。
以上は、作品の本質とは関係ないナンセンスなことかもしれない。しかし、訳す人が異なれば翻訳も違ってくるのが当然だし、またそれがおもしろいところだ。こうした些細な点にもこだわりたくなるのが、言葉に興味を持った者の始末に負えないところなのだろう。
(芭蕉関係の過去の参考記事)
・動詞 spare と芭蕉の「五月雨の降りのこしてや光堂」の英訳
・芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の河」の英訳を比べる
・「夏草や兵どもが夢のあと」 (雑草と weed と grass の違い)
・英訳「奥の細道」を読む~月日は百代の過客
・「タイム」の誤報? ジェームズ・ボンドと芭蕉
・続・007と芭蕉 (「007は二度死ぬ」)
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「三代の栄耀一睡の中(うち)にして~」で始まる「平泉」の章を初めて読んだ数十年前、「古文」の成績がからきしダメだった私も、「月日は百代の過客にして~」という「おくのほそ道」の書き出しと並んで「かっこいいなあ」と痺れたものだった。
今回取り上げたいのは、この章の後半部分である。
- 兼て耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽て、既に頽廃空虚の叢(くさむら)となるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆て風雨を凌ぐ。暫時(しばらく)千歳の記念とはなれり。
五 月 雨 の 降 り 残 し て や 光 堂
目で追っただけでも名文だが、いつぞやこの部分をラジオの朗読か何かで耳にした時、音で聞いて気づいたのは、「二堂」「三将」「三代」「三尊」「七宝」という数字が畳みかけるように続くことだった。
少し離れた「四面」「千歳」も含めると、芭蕉は意図的に数字を連ねることである種の効果を狙ったのではないかと思った。
また、芭蕉が当初この部分に掲げようとした句は、「五月雨の~」ではなく、「五月雨や年々降て五百たび」が初案だったことが知られている。さらに数字を続けることを考えていたわけである。
これを取り下げたのは、奥州藤原氏の栄華が500年前であることは当時の読み手なら共通認識となっていたうえ、「千」の次が「五百」と半減してしまうので、この数字を入れるとこの部分の印象がむしろ下がってしまうと芭蕉は考えたのか、と想像したくなる。いずれにせよ「五月雨の~」の方が、歳月の経過にとどまらない深みが感じられるのではないか。
そんなことを思い出したので、何種類かある英訳「おくのほそ道」の中では現在もっとも手に入りやすいと思われるドナルド・キーンの翻訳でこの部分を探してみた。
すると、必ずしも単純な数字で表しているとは限らなかった。全文を引用すると長大になるので、原文の数字部分を抜き書きしてみよう。
- the two halls of the Chusonji
- statues of the three generals
- the Golden Hall has their coffins
- an enshrined Buddha trinity
- the "seven precious things"
- strengthened on all sides
- a monument of a thousand years
さらに、私が持っている別の英訳本(Hiroaki Sato 訳)を見たら、この部分はいずれも原文通りにそのまま数字で表現されていた。
- the two halls
- the statues of the three guardian kings
- the coffins of the three generations
- three Bodhisattvas
- the seven treasures
- enclosed on the four sides
- a thousand years
この二つの訳文を読んで、どうしてこのように訳したのか、それぞれの翻訳者に尋ねてみたいものだと思った。
棺に納められた three generals は、their (coffin) と代名詞で受ける方が英語としては自然なのか。trinity は「三つ揃い」の他に、「三位一体」といった宗教的な意味もあるので「三尊」にあてたのか。英語でも four corners という表現があるが(→こちら)、sides には all のほうがしっくりくるのか。そんなことを故 Donald Keene 氏にうかがってみたい。
Sato 氏には、原文で数字が続いていることを意識してこのように訳したのか尋ねてみたい。また氏はこの訳書の前書きで、英訳の推敲で協力を得た複数のネイティブスピーカー(と思われる人)の名をあげているが、原文通りに数字を訳して列挙したことについて何か意見を受けたのか、そんなこともうかがいたい。
以上は、作品の本質とは関係ないナンセンスなことかもしれない。しかし、訳す人が異なれば翻訳も違ってくるのが当然だし、またそれがおもしろいところだ。こうした些細な点にもこだわりたくなるのが、言葉に興味を持った者の始末に負えないところなのだろう。
(芭蕉関係の過去の参考記事)
・動詞 spare と芭蕉の「五月雨の降りのこしてや光堂」の英訳
・芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の河」の英訳を比べる
・「夏草や兵どもが夢のあと」 (雑草と weed と grass の違い)
・英訳「奥の細道」を読む~月日は百代の過客
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